やりたいことをやらない方が僕には怖い。【写真との出会いから独立するまでの話①】
何からお話しようかなぁと迷ったのですが、まずは少し詳しい自己紹介として、僕がカメラマンとして独立するまでの話を最初にしていこうと思います。
- 僕と写真と出会い
- カメラマンという職業を意識したとき
- カメラマンになると決めて、まずしたこと
- 好きなものの近くにいく
- 僕は音楽の道に進みたかった。でも、諦めた。
- 僕は自分がカメラマンになると信じて疑わなかった。
- やりたいことをやらないほうが怖い
- 失敗しないから大丈夫。
- 好きなものを「自分の一部」にする
僕と写真と出会い
みなさんと写真の出会いってどんなものですか?
僕は父の姿を思い浮かべるとき、いつもカメラを持った姿が出てきます。
父はしょっちゅう僕のことを写真に撮ってくれていました。
カメラを構える父の姿。
それが、僕の写真の原体験です。
子どもって、身近な大人が持っている物に憧れるんですよね。
僕がカメラに興味を持ったのは、僕を撮る父の姿からでした。
小学校3年生位の頃、父が新しいカメラを買い、それまでのものを僕にくれました。
初めての自分のカメラは、OLYMPUS-PEN EEというハーフサイズのもの。
僕はそれで友達や街を撮ったり、遠足のときに持って行って撮影をしたり。
カメラを持って、触って、操作してということ自体を楽しんでいました。
カメラマンという職業を意識したとき
そうやってカメラで遊んでいた僕ですが、初めてカメラマンという職業を意識したときのことは、今でもはっきりと覚えています。
高校2年生のときに、当時付き合っていた彼女の家に遊びに行ったときのことです。
彼女の家は製版関係の仕事をしていて、その関係でポスターや印刷物が
よく壁に貼られていました。
そこにあった1枚のポスターが、僕の人生を変えました。
それは、子どもを抱き、民族衣装をまとった黒人女性が遠くをキリッと
見つめている写真でした。
文字は、「わが心のスーパースター」というコピーと、下の方に入った「PARCO」という名前だけのシンプルなもの。
僕は、それを見たときに、
「あ、写真って、仕事になるんだ」って思ったんです。
写真やカメラにまつわる仕事はたくさんあります。
カメラを販売する人。
街の写真館。
他にもたくさん。
でも、僕はそのポスターを見たときに、初めて「写真が撮ることが仕事になる」ということをリアルに感じて、「僕、これしたい!」って強烈に思ったんです。
それぐらい、そのポスターは格好良かった。
「僕、これやる。これで人生やってく」
僕が写真で食べていこうって決めた瞬間でした。
カメラマンになると決めて、まずしたこと
今と違ってインターネットもない時代。
どうやったらカメラマンなれるかなんて、全然わからない。
当時の情報収集といえば、まず本。
僕は本屋さんへ行き、隅から隅まで、写真やカメラに関する本を漁りました。
そうしているうちに、僕は「COMMERCIAL PHOTO(コマーシャル・フォト)」という雑誌を見つけました。
それはいわゆる業界誌で、TVで流れているコマーシャルや、街や電車で見かけるポスターや
広告、新聞広告、そういったものをどんなスタッフが作っているかというのが
書かれていました。
僕は毎月その本を買うようになり、夢中で読みました。
すると、だんだんと「この広告いいなー」と、自分の好みが見えてきます。
次に「自分が好きになる広告は、この人、このメンバーが作っていることが多いなぁ」というのが見えてきました。
そこで、僕は、好きな広告を作っている人の名前をリストアップすることにしました。
それが僕がカメラマンになるためにまずやったことです。
Pがカメラマンで、ADはアートディレクター、STはスタイリストの略語だとか、そういうのも、そこで覚えていきました。
好きなものの近くにいく
あるとき、コマーシャル・フォトのコラムか何かで「原宿セントラルアパート」を知りました。
これも、僕がカメラマンになる中で出会った、大きなものの一つです。
どうやら原宿にセントラルアパートというクリエイターが集まっているマンションがあるらしい、ということを知った僕は、早速そこに行ってみました。
建物の中にはもちろん入れません。
でも、入り口にあるポストには、僕がリストアップした人達の名前や事務所名が書いてあるんです。
ここに、僕が憧れている人達がいる。あの世界がここにある。
それだけで、僕はワクワクしました。
中には入れないけど、1Fにセントラルパークというカフェがあったので、休みの日にはいつもそこへ行って、当時流行っていたインベーダーゲームをやったり、隣のテーブルで行われているデザイナーの打ち合わせに聞き耳を立てたりしてました。
当時はお金もない高校生で、たいしたおしゃれができてるわけでもなく、子どもが精一杯背伸びをして大人の世界を覗き見しているだけでした。甘酸っぱい!甘酸っぱいよ!
でも、そうやって、漠然と憧れていただけの世界へ近づいていき、その空気や行き交う人達の姿を見て、実体を感じていたことは、とても大事だった。
だから、僕は今、ここにいるのだと思う。
僕は音楽の道に進みたかった。でも、諦めた。
話は変わりますが、中学1年生の時に、僕は入学式で見た演奏に感動して、ブラスバンド部に入り、ホルンを吹いていました。
当時は音楽に携わって生きていけたらなって思ってた。
けれど、中2のとき、親の事情で引越して、何となく音楽からは離れてしまった。
転校先にブラスバンド部がなかったのがきっかけだけど、それだけではなく、僕はどこかで音楽で食っていくのは自分には難しいんじゃないかなって感じてたのだと思う。
たとえばホルンを続けていったとして、音大に入って、演奏だけで食べていけるようなオーケストラに入ることが出来るのか。オーケストラにホルンは数名。僕がそこに入り込めるのか。
僕が育った家は貧乏だったので、好きなことを続けるためには、それを職業にするしか方法がなかった。そこまで詳しく考えていたわけではないけれど、仕事をしながら、好きなことは趣味にして、それにお金を使うという生活がイメージできなかった。
だから、好きなことをするためには、それで稼がなければいけなかった。
きっぱりと諦めた瞬間があったわけではないけれど、僕はそうやって音楽の道に進むことを自分の中から徐々に外していった。
ブラスバンド部時代の仲間には、ずっと音楽を続けてそれで食べているやつが何人かいる。
だからね、今でも正直いいな~!って思うよ。
写真はもちろん好きだけど、音楽もやりたかったことだから。
僕は自分がカメラマンになると信じて疑わなかった。
音楽はそうやって徐々に離れてしまったのだけど、写真は常にそばにあった。
そして、先に書いたように、僕は高校生のとき、それで食べていこうと決めた。
不思議と写真に対しては食べていけないかもとはまったく思わなかったんだよね。
僕は、自分がカメラマンになると信じて疑わなかった。
何でそう思えたかというと、身の回りに写真が溢れていたから。
雑誌を開いても、街を歩いても、写真があちこちに使われている。
それらは全て誰かが作っている。だから、これで食べていけないわけがないと僕は思っちゃったんだよね。ホルンで食べていくより、ずっと簡単なはずだって。
だから、あとはどうやってなるかってだけだった。
やりたいことをやらないほうが怖い
僕は、写真に限らず、何かやりたいことがあるけど迷っている人達から「どうすればいいですか?」と聞かれることが結構ある。
そういう人達の話を聞くと、迷っている理由は色々だ。
「普通」から外れるのが怖い。
本当に自分に向いているのかがわからない。
失敗したらどうしよう。
でも、よーーーーく話を聞いてみると、それらの話は全て
「色々時間もお金もかけて、稼げるようにならなかったら、どうしよう!それはいやだ!」
ってのに集約されることがほとんど。
だって、好きなこと仕事にして、満足できるだけのお金が稼げることが約束されてるなら、誰も迷ったりなんかしなくない?
でも、うまくいくかどうか約束なんてされてないから、みんな迷う。
でも、それでも僕はこう思う。
やりたいことをやらない方が怖い。
やりたいことあるのに、それをしないなんて、僕には、その方が勇気がいる。
僕は、家の事情から、やりたいことを続けるためには、それを職業にするという方法しか思いつかなかった。だから、その方法を探して実行した。
もし自分が好きなことを本当に職業にしたいのなら、いくらでもチャレンジすればいい。
ただ、いきなり職業にすることを目指さなくてもいいと思う。
そうしたら失敗もそんなに怖くないはず。
本当は、失敗したっていいんだけどね。
また別のものを見つければいい。
もしくは、新しい作戦練って再チャレンジすればいい。
失敗しないから大丈夫。
あと、極端なことを言うけど、
うまくいかなかったらどうしようと悩んでいる人へはこう伝えたい。
失敗しないから大丈夫!
失敗しないしないようにすればいいんだから!
ああ、怒られそう。
「そんなわけない!」って。
でも、失敗しないようにやり続けるしかないじゃん。
その方法を懸命に見つけるの。
そうしたら、大抵のことは、そこそこのレベルまでいきます。
どんなに頑張っても、僕は100mを9秒で走れない。
そういう元々の能力や年齢に大きく左右されるものはある。
けど、本当に走ることをしたいのなら、今よりタイムを1秒縮めることはきっと可能。
問題なのは、そこまで取り組めるかどうか。
一つのことをあるレベルまでもっていくためには、かなりの時間と労力を注がなきゃいけない。戦略を考え、実行しても上手くいかないこともある。でも、それは失敗じゃない。「その方法では上手くいかない」ということがわかっただけ。多くの人はそこで諦めてしまうから、失敗になってしまう。また別の方法を考え実行すればいい。
つまり、それを面倒だと思わずに続けられるものに出会えるかどうかが一番のポイントなのかもしれない。
そして、それをしながら生活が出来るかどうか、なのかな。
ちなみに、そこまで取り組めなかったら、それでもいいんですよ。
それは「自分には向いてなかった」、「そこまで好きではなかった」ということがわかったんだから。
それも、やってみないとわからないことです。
また、別のものを探せばいい。
好きなものを「自分の一部」にする
好きなものがある人は、それを「自分ごと」にしたらいい。
「自分にとって当たり前のもの」にする。
気になるものについて調べまくる。
その世界の近くへ足を運んでみる。身を置く。
毎日そのことに取り組む。
絵が好きな人なら、絵のことについて調べるのはもちろん、絵を描くということを日々の習慣にしてしまう。
習慣ということは、自分の生活に絵が組み込まれるということ。
すると、あなたの人生は絵が組み込まれたものへと変わります。
そしたら、それまでの人生とは変わって当たり前だよね。
もしかしたら、絵にかける熱や時間の分量がどんどん増えていって、もっと大きく人生が変わっていくかもしれない。でも、その時、それはもう自然な流れとなっているはず。
「好きなことをして生きていこう」って聞くと、今の生活を捨てて、それに賭けなければいけないと思っちゃう人もいるけど、そんな大博打はしなくていい。
まずは、好きなものを自分の人生に組み込んで習慣にしてしまいましょう。そうするとあなたはもう今までのあなたではありません。
好きなものが組み込まれた人生がそこから始まります。
「好きなことを仕事にする」の始まりもそこからなんじゃないかな。
これから進路を決める若者なら、学生生活を送りながら好きなものを生活に取り込んでいけばいい。仕事にしたいなら積極的に動けばいい。すでに働いていて、好きなことをやりたいけど勇気が出ない大人は、まずは今の生活の中に少しずつ好きなものを取り込んでいけばいい。
僕は、そうやって高校時代を過ごしてきて、
卒業後は写真の専門学校へ進むことにしました。
お話はつづきます。
【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=KTrLKOeo-_8
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】