プロの仕事には再現性が必要。【僕が見た石岡瑛子・後編】
トラブル発生!そのとき、僕はどうしたか
石岡瑛子さんと仕事をご一緒させていただいたのは短い期間だったけれど、ありがたいことに石岡さんは僕を信頼してくれていたように思う。
仕事が終わってからも、ご飯に誘っていただくなど、ご縁は続き、たくさん貴重な話を聞かせてもらった。
今思えば、石岡さんが僕を気にかけてくれるようになったのは、あれがきっかけだったかもしれない、という出来事がある。
前回の通り、僕が石岡さんと知り合ったのは、僕の師匠が石岡さんの出演する番組の記録撮影をすることになったからだった。
この撮影は、富山製作所のアートパノラマというカメラを使って行われた。
これは、ブローニー判のフイルムを使用し、6×24という横長の比率で撮れるものだ。
(※動画の中では、6×22と話していて、字幕で6×17と修正したのだけど、なんだか違和感があって再度調べたところ、正確には6×24でした。すみません。)
石岡さんから、モノクロで粒子の荒れた感じにしたいとの依頼を受けていたので、僕は増感現像という方法で現像を行った。
増感現像とは、現像時間を通常より延長、また現像液の温度を上げることで、フイルムの実効感度を上げる処理方法のこと。
ざっくり説明すると、光が少ない環境で速いシャッターを切りたいが、そうすると露光が不足してしまうときなどに、それを後から補う方法だ。
ノーマルのフイルム感度に比べて、実効感度を高くすることができるけれど、その代わりにコントラストが上がって階調が損なわれたり、粒子が荒くなるというデメリットがある。
どちらかというと、そのデメリットを利用して粒状感を出したいときに、選ばれる手法でもある。
僕は、何度も増感現像を行ったことがあったので、自分の中にデータがあった。
それから考えると上手くいくはずだった。
ところが、いざ増感現像してみると、思ったように荒れてないのだ!
なんかキレイな感じになっちゃってる。
今まではこんなことはなかったのに。
どうして?
僕は、暗室作業に詳しい知り合いに聞いたり、メーカーに問い合わせたりしてみた。
すると、“予告のない改良”が原因らしいということがわかってきた。
基本的に、フィルムは、微粒子を目指して作られている。
より細かく、より美しくなるよう、日々研究開発は行われている。
つまり、改良が行われたことにより、増感現像への耐性が上がってしまい、今までのやり方では、狙っていた荒れが起きなかったのだ。
そもそも、そのとき使っていたブローニー判というサイズの大きいフィルムは、プリント時の拡大率の点でも、高精細に向いているものだった。
だからカメラも、サイズの小さい35ミリフイルムを使うものの方が、粒状感を出したいという目的には合っていたのかもしれない。
とにかく、もう現像は済んでしまった。
さあ、どうする?
僕は、石岡さんに全てを話した。
増感現像を行ったが、狙い通りに荒れなかったこと。
メーカーに問い合わせをしたところ、フイルムの改良が行われていたことがわかり、それが主な原因だったこと。
今回のプリントを、再度小さいフィルムで撮影し、粒子が荒くなるように処理をすれば、おそらく希望に沿った写真を作れるであろうということ。
言葉を尽くして説明した。
すると、石岡さんは理解をしてくれただけではなく、「あなた、仕事ちゃんとやるわね~」という言葉をくれたのだ。
つまり、起こってしまったことの原因を調べ、今後の策と共に、きちんと理由を説明するという姿勢を評価してくれたのだった。
石岡さんに教えてもらったこと
石岡さんの発する言葉や、仕事に対する姿勢のひとつひとつが、とても貴重な教えだった。
その中でも、僕の物事に対する考え方に、大きく影響を与えたものがある。
それは、全ての行動には理由があるということ。
そして、仕事では、理由のない行動はしてはいけないということ。
石岡さんが僕を信頼してくれたのは、トラブルが起きたときに、その原因と対応策の理由をしっかりと説明したことが大きかったと思う。
石岡さんは、仕事の上で、理由のないことは決してしない人だった。
たとえばコピーの入れ方も、写真の色の配分や構図なども考慮して、文字の大きさや太さなど、バランスを細かく決めていた。
グラフィックデザイナーなら誰もがそうだとは思うけれど、石岡さんはかなり意識的にそれをやっていたように感じた。
全てに理由があり、なんとなくで決めていることは何もなかった。
抜群のセンスの上に、知識と経験が重なり、全ては行われていた。
行動には必ず理由がある
当たり前すぎて、あまり考えないことだけど、僕らの体の動きにはすべて理由がある。
足を左右に動かすのは、目的地へ歩くためだし、
腕を動かしコップを持つのは、喉を潤すため。
目覚ましをセットするのは、明日起きたい時間に目覚めるためだし、
焼き肉弁当ではなく、八宝菜弁当を選んだのは、お腹の肉が気になるから。
こんな単純な行動なら、すぐ理由はわかる。
まあ、単純すぎて誰もわざわざ理由を考えないし、考える必要もないんだけど。
これが仕事や人間関係など、一気に複雑なものになった場合はどうだろう。
利害も絡むし、感情も動く。
そこには、膨大な選択肢が登場する。
それでもやはり、一つ一つの動作、行動に、なぜそうしたかという理由が絶対にある。
そのことに意識的になると、色々と発見ができる。
最初はなんとなくでもいい。
「なんとなく、こっちの方がいい」
「なんとなく、それはやめておいた方がいい」
その感覚は、むしろ大切にした方がいい。
重要なのは、次に「なぜ、そう行動したのか」と考えてみること。
どんな目的のためなのか。
どうしてそう思ったのか。
その方法がベストなのか。
分析して、言語化してみること。
そして、仕事においては、必ず理由を理解しておくことが必要だ。
これは、絶対。
仕事をする上では、「なんとなく」では、ダメ。
プロの仕事には再現性が必要
どうして、仕事の上では「なんとなく」がダメなのか。
それは、プロの仕事には「再現性」が必要だから。
プロの仕事では、「なんとなく色々やってみたら、うまくいきました」では、通用しない。
最初はそれでいけても、そのうち必ず行き詰まってしまう。
プロならば、「こうしよう」と決めて、その狙い通りのものを作れる知識と技術がなければいけない。
それはつまり、また同じようにしようと思ったらできる「再現性」があるということで、
そのためには「どうしてそうするのか」という理由が、自分でわかっていないといけない。
カレーで例えるなら、
適当に色々入れてみたら、なんかすごく美味しくできたけど、もう二度と同じものは作れないというのはダメ。
家ならいいけど、お店だったらダメ。
いつでも同じ味を再現できなきゃいけない。
写真だったら、良いシチュエーションで、色んな方法で、やみくもにシャッターさえ押せば、奇跡の一枚は撮れるかもしれない。
けど、プロはそれをあてにしてはいけない。
仕上がりまでを想定し、狙い通りに撮ることが必要。
もし、プロが「奇跡の一枚」と言うことがあるならば、そういう再現性を持った知識と技術の上に、いくつもの幸運が重なり、狙い以上のものが撮れたときのことを指している。
一流の料理人が、その日の気温や湿度によって、材料の分量を調節したり、手順に変化を加えていつもの味を出すように、写真でも、光やロケーションによって、撮影方法を考え、狙い通りのものを撮る力が必要になる。
写真の場合は、データも重要だ。
写真って、結局は化学反応だから、こうすればこうなるっていうことが、決まっている。
フィルムなら化け学反応で、デジタルなら電気的な物理反応。
だから、こう撮りたいときはこうすればよいというものがハッキリとあるし、それを自在に操れるように、技術を磨いていかなければいけない。
仕事には、納期や予算などの制約があるから、
その中で、最大限のパフォーマンスを発揮しなければいけない。
良いものが撮れなかったからやめるなんてことは、もちろん通用しない。
厳しいけれど、それがプロなのだと僕は考えてる。
2つの視点を持つ
行動には理由があるという話を、もう少し広げると、
実は、これも当たり前のことなんだけど、行動だけじゃなく、すべてのことに理由というものは存在している。
偶然というのは、本人が理由を認識できていないだけで、起こる全てのことに理由が存在している。
もし、あなたが何かの作り手になりたいとか、自分の仕事で社会に影響を与えたいとか考えているのであれば、あらゆる行動や感情の理由に自覚的になった方がいい。
なぜ、このゲームは楽しいのか。
なぜ、この人と話しているのやる気が出るのか。
なぜ、この人と一緒にいるとイライラしちゃうのか。
なぜ、この行動がやめられないのか。
なぜ、この小説に感動したのか。
ものを作る人間ならば、それらの理由を考えることが必要になる。
その理由がわかれば、それを再現することに一歩近づけるからだ。
多くの人がなんとなくで済ましているところに向き合うことになるから、辛い部分も出てくるはずだ。
ストイックな日々になると思う。
でも、何かを創る人間がストイックにものを考えなかったら、どうするの?って感じ。
本気でモノを創りたいなら、これくらいで厳しいとか言ってられない。
自分の心が動く理由を、紐解いて理解してみることは、悪いことではないので、ぜひやってみて欲しい。
はじまりは、「なんかよくわからないけど楽しい!」でいい。
その気持ちは、最強。
その後、一歩引いてみて。
2つの視点を持つことが、重要。
「わー!楽しい!」と、満喫する自分と、「なぜ、楽しいのだろう」と、分析する自分。
この視点は、モノを創る人にとって、必ず役立つ。
というか、ビジネスでも何にでも役に立つと思う。
旅立っていった石岡瑛子さん
僕は二度、石岡さんに大きな影響を受けた。
一度目は、石岡さんが作った、パルコのポスターで。
二度目は、一緒に仕事をしたときに見た、その姿で。
石岡さんの仕事に取り組む姿勢には、凛として美しい筋が一本通っていた。
だからこそ、フランシス・フォード・コッポラや、アーヴィング・ペン、マイルス・デイヴィスなど、こだわりの強い一流アーティストたちを動かす言葉を持っていたのだと思う。
石岡さんとは、仕事でご一緒して以来、連絡を絶やさないようにしていた。
でも、僕が独立した頃、石岡さんは外国に拠点を移してしまった。
世界を股にかけて仕事するようになり、僕自身が直接仕事をすることは叶わないままとなってしまった。
僕は、日本を離れてからの石岡さんの仕事も、ずっと追っていた。
どんなことを考えながら、作ったのかなとか、
どうやってこのメンバーを仕切っていたのかなとか、
このヴィジュアルの中で、何が一番大事なのかとか、
石岡さんの仕事を見るたびに、そんなことを考えていた。
もし、僕がここに参加させてもらっていたら、という気持ちで見ていた。
石岡さんと一度でいいから、自分の仕事を一緒にしたかった。
それが、残念。
でも、アシスタントという立場でも、共に仕事をさせていただいたのは、本当に貴重な経験だった。
教わったことは、僕の中に残り続けてる。
僕にとって、石岡瑛子さんは、
偉人であり、アイドルであり、恩人なのだ。
この先も、ずっと。
【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=Wwc63e0Tgpw
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】