LIFE LOG(ホネのひろいば)

【フイルムからデジタルへ】写真に起こった大変革をどう受け止めたのか

 

自分の目の黒いうちに、写真を取り巻く環境がこんなにも劇的に変わるなんて、予想もしていませんでした。

デジタル革命っていうのかな。まさに革命的変化でしたね。

 

おそらく今、写真をやっている方は、デジタルカメラの時代になってからという方も多いのではないかと思います。そういう方には、当たり前のことも、フイルム時代からやっていた人にとっては、とんでもない大きな変化だったんです。

 

デジタルって何だ?

 

僕がデジタルカメラを使うようになったのは、ニコンD100からなので、それほど初期からというわけではありません。4×5ビューカメラの後に取り付け、RGB3回スキャンするというようなカメラも、きわめて初期の頃にありました。

ただ価格が500万円くらいしていたと思います。とても手が出せません。投資が回収できない。それと同時に、本当に、これが実用的に使えるのか確信が持てないというのが正直な気持ちでした。

 

1994年にカシオのコンパクトデジタルカメラQV-10が発表され、翌年定価65,000円で発売になりました。これは、一部のプロカメラマンだけじゃなく、一般の写真好きの方からも注目を集めました。

そして1999年に、ニコンD1が発売になり、後に(2002年)ニコンD100が、実売価格250,000円強という、誰でも買おうと思えば買える、現実感のある値段で登場しました。そうなると、いよいよ試しに使ってみるかという段階です。僕もこれを買って、ともかくデジタルカメラを使い出したわけです。

 

 

技術革新の感触は得られたものの、まだ不満も多い。たとえば、少し連写すると、メディアへの書き込み待ちでカメラが固まってしまう。Rawも、ファイル容量が大きいせいか、56枚連写すると固まってしまう。とてもフイルムカメラのテンポで撮ることはできません。

また、フイルムで言うラチチュード(デジタルではダイナミックレンジ)も、フイルムと比べて余裕がない。特にトビ側に弱く、ちょっと露出オーバーすると、スパッと白トビしてしまう。その境目はトビ側もつぶれ側も極端で、いきなり破綻するという感じ。

 

当然、撮影後のプロセスもフイルムとはまったく違う。

暗室ではなく、すべてコンピューターで処理するということになる。フイルム時代に蓄積したノウハウはあまり役立たない。

なんとも難しいもんだというのが、正直、当時の受け止め方でした。

本当に、この方向に行くのかなぁ~嫌だなぁ~って、けっこう悶々したのを良く覚えています。それで、仕事なんかだと、フイルムとデジタルの両方持っていって撮っておくみたいなことを、けっこうな期間やっていました。

 

写真のことを音楽が教えてくれた

 

デジタルと、どう付き合っていこうかを考えたときに、ある程度理屈の上で理解しておかないと方針が決められない。

さて、どうしたもんか。けっこう考え込んでしまいました。

 

あるとき、ふと思ったんです。

「そういえば音楽の世界は、レコードからCDへ劇的な変化があったじゃないか」

 

CDプレーヤーは1982年に登場しました。発売に前に、面白い事が言われていました。

それは、「CDは再生機種ごとに音が違ったりしない」「どのメーカーのどの機種でも、同じ音がする」と。

ところがいざ発売してみると、ぜんぜん違っている。まぁ、それは考えてみると当たり前のことなんですよ。デジタルからアナログに変換してから、アンプに送り出すまでのアナログプロセスの回路は、各メーカーが独自の設計でやっているわけですから。

なぜ同じ音がするなんて言われていたのか、今思うと不思議です。

 

CDは多くの人がワッと飛びつき、爆発的に普及していきました。簡単、便利というところが受け入れられたのでしょう。

ただ、肝心の音はどうだったでしょうか? 普及価格帯の機種などは、正直言って、満足な音が出ていなかった。ノイズもなく綺麗な音なんだけど、なんというか、音が薄っぺらで長く聴いていられない。音楽を聴いていて、楽しいとか、落ち着くなぁとか、癒されるなぁ~という感じがしない。聴き疲れしてしまうんです。

 

やがて機器メーカーも、DA変換のところにお金をかけはじめました。

DAコンバーターのチップも、フィリップス製がいいとか、いや、バーブラウン製が優れているとか、選別品を使ってるとか、パラレルだ、左右独立だと様々な工夫を凝らして新機種を出してくる。またデジタル回路とアナログ回路の電源を分けてますとか、気がつけばDAコンバーターだけで、3040万という高額なものも出てきた。

さらに一つの半導体でやっていたDA変換をディスクリート回路でやったりと、より凝ったものも出てきた。

CDトランスポートも、物量を投入して、外部からの振動をシャットアウトする工夫やら、自らの回転で生ずる共振を排除するだの、大袈裟なくらい重たいプレーヤーなんかも出てきた。

あれ?デジタルデーターを読み出すだけなのに、こんなにしないといけないの?と、もうある意味で滑稽ともいえる状況になってきました。

デジタルデーターをアナログに変換する”まさにたったそれだけのことに、こんなにも苦心している。

「だったらレコードで良かったじゃん」と感じました。 

 

レコードっていうのは、アナログデータです。溝に刻まれた凹凸を針でこすって、その振動を電気的に増幅して音にする。その周波数の変化をグラフ化すると曲線が滑らかなんです。一方、CDは、デジタルです。二進法の符号に変換してますから、曲線は極端に言えば、階段状なんです。DA変換の際に、この段差をなだらかに補間するなんてこともやってる。

どっちにしても、もの凄くお金をかけて、技術者が苦心していることって、アナログレコードをやめてCD化にしたことで失ったものを取り戻す作業をやっているということ。

まぁ、それがデジタルを理解する上で、自分なりにとっても腑に落ちたというか…。

 

それと同時に、とってもわかっちゃったことがあるんです。

それは、アナログかデジタルかっていうのは、保存の方法なんですね。

つまり、演奏された音楽というものを保存しておくためのやり方、形式の話なんですね。

 

そうやって音楽のことをずっと考えていくなかで、「あれ?写真も同じだ」と気がついたんです。

つまり、保存の方法なんだってことなんです。

 

保存の方法が違うのだから、その保存されたものを取り出すときのプロセスが変わるのは当たり前だということ。

そこを納得できてから、フイルム時代に暗室でやっていたことをコンピュータ(フォトショップ)でやるということが自分の中でイコールになりました。

「あ~そういうことか」と、霧が晴れたような感じがしました。

 

デジタルとの付き合い方

 

撮る段階で、ちゃんと撮っておかなければいけない。これは、デジタルかアナログかは関係ない。どっちも同じなんです。

つまり保存の方法が変わっただけなので、それ以前の段階で、やっておかなければならないことは、実のところあまり変わらないんです。

 

たとえるなら、『フォトショップでモデルさんの機嫌は直せない』ということです。

変形ツールを使って、ちょっと笑顔にしてみるとかは可能かもしれないけれど、心の底から気分があがっている。ワクワクしているとか、そういった感情から表情に滲み出てくるものは、なにか形をいじって再現できるようなことじゃない。

ですから、撮る段階でしっかりやっておく。

そしてデジタルという保存方法に見合った、復元させるために注意深くやっておかなければいけないことも撮る段階でちゃんとやっておこう。

当然、復元のプロセスのところで必要な作業には、どんどん馴れていかなければいけない。

そして復元させた画像ファイル。僕の場合はTIFFで納品する事が多いので、このTIFFデーターの完成度を上げていく。飛んでません。破綻してません。つぶれてません。変な偽色がありません。

さらに、自分の表現したいものがちゃんと反映されているか。こういう風に感じてもらいたいからこういう写真を創りました、という気分とか、そういったことが、ちゃんとできているかどうか。それに尽きるなぁ~と、そこに気がついたんです。

 

そこからデジタルを使うということに躊躇がなくなりました。当然、印刷のワークフローがどんどんデジタルの方向に変わって行ったので、少なくとも印刷ビジネスにおいては、フイルムでやることのメリットがなくなっていったというのが時代の流れなんです。それに対して、自分も合わせて行ったということだったと思います。

 

ともかく、デジタルとは何かを納得するところから、いろんなことすべてがスムーズに流れ出したということなんです。

 

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