LIFE LOG(ホネのひろいば)

初めての助手は10ヶ月間。そして独学。【写真との出会いから独立するまでの話③】

 

現場は面白くて仕方なかった

カメラマン助手として働き始めた僕は、現場に夢中になった。

テキパキと仕事をするスタッフ達。雑誌やテレビで見たことのあるモデルやタレントの姿。シャッターの音。漂う緊張感。撮影が終わった瞬間の空気。

とにかく出会うもの全てが新鮮だった。ワクワクした。

 

師匠が現場でスタッフとどう関わるのか、どう仕事の流れを作るのかとか、そういうのを見るのも勉強になったし、楽しかった。

 

フィルムの現像が終わると、セレクト作業をする。

編集者とあれこれやりとりし、数カ月後には雑誌に載り、店頭に並ぶ。

手に取って眺めると、「ああ、この現場に僕はいた。ここではこんな仕事をしていた」と撮影時の様子を思い出された。

「ああ、これだ!」って思った。「僕がしたかったことはこれだ」って。

 

助手を始めた当初は、まだ学校にかろうじて在籍はしていたのだけど、現場で仕事をするにつれ、僕の中で学校に行く必然性がどんどんなくなっていき、ほとんど通わなくなっていった。

 

師匠を紹介してくれた先生に「現場の方が面白いので、学校来なくていいですか」と言ったら、「はい、来なくていいですよ~」って言われたのを覚えている。

「○○であるべき」という既成概念があまりない先生で、さり気なく上手に僕を導いてくれた人だった。

 

そうして、入学から一年後、僕は正式に写真学校を辞めた。

 

知識が足りない!最初の助手は10ヶ月間

僕は、その師匠の元で10ヶ月程働いた。

 

「たった10ヶ月?」と思う人もいるだろう。

その通り。

19歳の僕は壁にぶつかる。

 

現場に出る回数が増えるにつれ、仕事は覚え、作業のスピードも早くなっていくのだけど、今やっている作業が何のためなのかという所が、しっかりとは理解できていなかったり、これから行う撮影の内容に合わせて先回りの準備しておくなどの面が弱かった。

 

周りのキビキビ動くスタッフを見て、だんだん僕は焦り出した。

「やばい、俺、何にも出来てない!」

 

圧倒的に基礎が足りないこと、もっと写真の知識が厚くなければいけないことに、僕はそこでようやく気付くことになる。遅いよ!

 

なんで学校行っている間に気づけなかったんだろうと思わないでもないけど、結果として、僕はこれで良かったと今でも思っている。

 

実際に現場に出たからこそ、自分に不足しているもの、何を学ばなければいけないのかを体でわかることができたし、自分がどこまでなら通用するのかということも見ることができた。

そして、「自分がいきたいのは『ここ』だ」と、改めて目標をしっかりと構えることが出来た。そのためにやるべきことを考え、どんな風に学んでいこうか、自分で決めることができた。

 

もし、写真学校に通ったままだったなら、僕はバイトに時間を使い、あとは皆で飲み歩いたりする日々になっていたような気がする。

 

考えた結果、師匠には、自分には圧倒的に基礎が足りず、勉強をし直さないといけないので、一度辞めさせてくださいと、そのまま正直に伝えた。

 

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写真集と映画で勉強

その後、僕は一年間アルバイトをしながら、独学で写真を勉強した。

 

主な教材は写真集と映画。

銀座に、ものすごい数の写真集を揃えている、個人図書館のような場所があり、僕は足繁くそこに通った。

 

そこは「メイユウ図書館」とか、そんな名前だったような気がするけれど、このブログを書くためにネットで調べたところ、出てこないので間違っているかもしれない。今はもうない可能性が高い。

 

とにかくそこにはたくさんの写真集があって、海外のものも多かった。

今みたいにネットで簡単に画像を見たりできないから、初めて見るものがほとんどで刺激的だった。

 

僕の勉強法は、写真をひたすら分析すること。

 

どうやって撮っているのか。

自分の好きな作風はどんなものなのか。

どういう風に光が使われているのか。

なんでここはこうやっているのだろうとか。

 

自分が感じたことを整理して、言語化していった。

 

そのときの僕には、もう現場の経験があるから、「こういうセッティングをして撮ったんだろうな」とか「きっとこういう考えでこうしたんだろうな」ということを、ある程度は予想することができた。

先生がいるわけではないので、その分析が正しいかどうかはわからない。だけど、きっとこうだろうとか、これはどうやってるんだろうとか、自分が感じたことを深く追求していった。そうやって勉強をしていた。

 

洋書店でアルバイトしていた写真学校時代の友人がいたので、そいつが手に入れた、「VOGUE」や「Harper's BAZAAR」、「ELLE」などを一緒に見て、研究したりもした。

それらの洋雑誌は、写真やファッション、カルチャー、全てにおいて当時の最先端だった。

簡単には手に入らないし、値段も高価だったので、その友人には助けられた。

 

あとは、

 

映画を観た。

それはもう、たくさん観た。

 

映画はめちゃくちゃ写真の勉強になるよ。

 

まず、映画は三次元を二次元の中で表現している点が写真と一緒。

映画はその中で動きがあるから、「さっきの所よりも、ここからのアングルの方が写真としては良いな」とか「このカットは、写真として十分成立するな」とか、そういう見方ができる。

 

写真では、ストリートスナップとか、作り込んだ状況ではないものを撮影することもあるけれど、映画というものは基本的に「こういう画が欲しい」というものがあったうえで、その状況を待つか、作り出して撮影している。

それを意識しながら映画を観ると、とても勉強になる。

特にライティング。

登場人物を美しく見せたり、感情表現をもしたり、とにかく手間もお金もかかっている。

 

余談だけど、僕は撮影でレフ板を下からあてることは、まずない。

太陽の光も、室内や屋外の照明も、基本的に光は上からくるからだ。

だから、影を飛ばしたいときもレフ板は顔より上、せいぜい同じ位の高さで、光を調節する。

自然に。だけど意図を込めて。

これも、映画から学んだことの一つ。

映画でも、狙いがない限り、照明は上からあてられる。

同じ理由からだ。

シーンに合わせて、欲しい光を再現、演出する。

不自然さはないのに、しっかりと製作者の意図が反映される。

僕もそうしている。

 

あと、僕はカメラを手持ちで何気なく撮っても、水平垂直をビシっと出しちゃうのだけど、これも映画の影響。

映画では、雲台にカメラを固定するとき、まず水平垂直をきっちりと出す。

でないと、カメラを動かしたとき世界が歪んでしまう。

歪ませたり、ぶらせたりするのは、狙いがあるときだけ。

映画を観まくっていた僕にはその世界観が染みついていて、必ず水平垂直を無意識に出している。

 

他にも、映画はシチュエーションやロケーションの使い方も学べるし、何より自分がどんなものワクワクしてホロッとして心動かされるのかわかるのがいいよね。

映画は写真の教材の宝庫だよ。

 

こうやって僕は勉強していました。

お話はまだつづきます。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=wYzO8YuGPjY 
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

写真学校は半年で辞めてしまった。【写真との出会いから独立するまでの話②】

 

写真学校を半年で辞めた

 僕は、高校卒業したあと、写真の専門学校に入りました。

 

ところが、いざ学校に入ってみると、授業が退屈で面白くなかった。

ライティングの授業で専門用語を聞いても、視覚伝達論や写真の歴史を教わっても、どうしても興味が湧かない。

 

結論から言っちゃうと、僕は半年ほどで学校を辞めてしまいます。

 

僕にとって「写真でどうやったら食えるか」が知りたいことで、写真そのものを勉強したり研究したりしたいわけではなかった。

 

今となっては、授業でやっていたことも大事だってわかるんです。

でも、当時はそう思えなかった。

 

僕には「写真で食べていく」という目的があった。でも、それは学校で教えてくれなかった。だから、授業で学ぶことが、自分の目的のどの部分を固めてくれるかが見えなかった。

まじめに学校に通って、習うことを積み上げたとき、どこへ辿り着くのかイメージができなかった。

 

学校というものは、どうしても最大公約数的にしか教えることが出来ない。

それは仕方がない。だって、それぞれ違う事情や目的を抱えた生徒達に向けて教えるのだから、どうしても授業は一般化したものになってしまう。

ピンポイントで僕が知りたいことだけをカスタマイズして教えてもらうわけにはいかない。

 

本当はね、知識はあった方がいいし、自分の進む道の歴史を学ぶことは、世に出て仕事をする中で文脈を読むのに必要だったりする。

 

でも、僕は大人になっても同じこと繰り返しちゃってる。

まず、実践してみる。そして、必要だったら後から慌てて知識を入れる。

これはもう性格かも。

 

当時も、とにかく早く食えるようにならなくちゃ!って気持ちでいっぱいだった。

 

そんな僕は、

 

ある先生に頼み込みます。

何でもやるから助手として働きたい。カメラマンとして独立している卒業生を紹介してくれと。

 

ちなみに、この先生はちょっと変わった面白い人で、このあとも僕の人生の大事な場面で登場し、助け舟を出してくれるのです。

 

初めての助手経験

僕が紹介してもらったカメラマンは、ちょうどその年にAPA(日本広告写真家協会)が主催している公募展で最優秀の賞をとった方でした。

 

当時30歳前後と若く、まだ専属の助手もおらず、手伝ってくれる人を探しているということでした。

僕は車の運転だけは自信があったので、「車の運転ならまかしてください」って売り込んだ。

 

「そうなの?じゃあ運転してみて」って言われたので、「わかりました」と答えて運転したら、「確かにうまいね。じゃあ手伝いにきてよ。お金はそんなにたくさん払えないけど」ってノリでした。

 

そうして僕は、カメラマン助手として働き始めます。

学校へは実質半年ほどしか通わず、1年後には正式に退学しました。

 

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カメラの先にあるものだけに興味があった

写真学校に通っていたとき、僕は服飾デザイン科やアニメ科の人とよく一緒にいて、同じ写真科の人とはあまり付き合うことがなかった。

 

「写真は自分がやってるんだから、別に写真の人はいいじゃん」って思ってた。

いずれ現場に出たとき、一緒に仕事をするのはカメラマンではなく、デザイナーや他の職業の人達なんだから、写真の人同士で固まってても仕方ないじゃん、とも。

当時、そこまでしっかり言語化していたわけではないけれど、そんな考えもあった。

 

これまた今となっては、写真の人同士の交流も刺激的で楽しいものだってことを知っているのだけど、ずいぶんと長い間、僕は写真の人と積極的には交流していなかった。

 

いつも自分の興味の先を探していたのだと思う。

写真は何かと出会ってそれをおさめていくという作業だから、自分が撮りたいもの、撮りたいモチーフと一緒にいたかった。

レンズの向こうにいてくれるものを見ていた。

 

だから、学生のときは撮影対象である服、そしてそれをつくる人に興味があって一緒にいた。

 

当時、服飾デザイン科の友人から、服の撮影を頼まれることがよくあった。

課題で作ったものを提出する前に記録したいと。

モデルやトルソーに服を着せて撮影していると、「この服は厚手だから、寒そうな光で撮った方がいいんじゃない?」とか、意見をもらって話し合うこともあった。お互いに学生だったから、間違った意見も飛び交っていたと思うけれど、どうやったらその服の良さを表現できるのかとか、そういうことを考える機会をくれたのは、写真科の先生ではなく、服飾デザイン科の人だった。

 

アニメ科の人と遊んでいたのは…単に僕が漫画好きだから!

でも、あえて理屈を言うと、ストーリーや人の動きの表現とか、そういうものを作っているのはアニメだし、面白い人も多かったんだよね。

 

授業も、よく別の科の授業にもぐりこんでた。

特に服飾デザイン科。

そこで友達もいっぱいできました。

 

装苑賞をとってISSEY MIYAKEに入り、のちに自分名義のブランドでパリコレまで出た津村耕佑ともその時に出会い、いまだに付き合いは続いている。

 

僕が初めて写真でお金をもらったのも、服飾デザイン科の連中とつるんでいたのがきっかけでした。

 

初めての仕事は、山口小夜子山本寛斎の現場だった

ある日、学校の中のスタジオで、山本寛斎のパリコレのコーディネートが行われていました。

コーディネートっていうのは、コレクションで使う服、組み合わせ、順番などを決めていく作業のこと。

 

僕が通っていた学校から山本寛斎のところに入った人が何人もいたので、その関係で学校が使われていたのだと思う。山本寛斎本人も来ていて、スタッフもたくさん。服飾デザイン科の生徒達も手伝っていました。

 

僕がいつものようにそこにもぐりこんで見ていたら、

服飾科の先生に、「君はさ、写真学科だったよね?カメラあるの?」って声かけらた。

「はい、あります」って答えたら、

「じゃあコーディネートしたやつ撮って、記録してよ」って言われた。

 

僕はもう見よう見まねで、スタジオにある光をあてて、組み合わせられた服をまとったモデルをどんどん撮っていった。

 

そのとき!なんと!そのモデルの中に

あの、山口小夜子がいたんです!!

 

でも、当時の僕は山口小夜子がどれほど凄い人かというのことを、まだわかっていなかった。

何てもったいない!

 

ちなみに、山本寛斎のことはもちろん知っていたけれど、ノリのいいおっちゃんとだなあと思ってました。

 

何とか無事に撮影を終えた僕は、後日、プリントした写真をアルバムに入れ、

寛斎さんのオフィスがあった、東京セントラルアパート(原宿セントラルアパートとはまた違う建物)に納品しに行きました。

 

そのときに撮影料をもらいました。

初めてのギャラです。

 

僕は、有名デザイナーのパリコレの仕事を、末端とはいえ手伝えたという事に興奮を感じていました。

 

このことがきっかけで、ますます仕事したい、早く現場に出たいって気持ちが加速していきました。

そして、助手になる話へとつながります。

 

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自分のことは周りが教えてくれる

とにかく僕は、ひたすら撮る対象に興味を持っていた。

写真というものは、当たり前だけど必ず撮る対象が存在する。

ないものは撮れない。

人。もの。風景。撮るべきものは自分の外にある。

だから、僕は外にばかり目を向けていた。

 

よく「自分を見つめて、作品に映し出す」みたいなことを聞く。

確かに、写真には自分自身が映し出される。

それは事実。

けれど、それはあくまでも結果だと僕は思う。

 

自分が何にワクワクするのか。何をカメラの前に持ってくるのか。

写真とは何かと問われれば、「外にあるものに対する視線」が僕の答えの一つだ。

結果として、その視線に自分自身の心が反映され、それが写真に映る。

だから、「自分とは何か」を自問し続けてもあまり意味はない。

 

きつい言い方をすると、

自分だけを見つめてるのは楽なんだよね。

一人でできるから。

外と関わったときの面倒くささや恐怖を味わなくて済むから。

 

外と関わろうとすると、楽ばかりではない。

まず、出かけていかなければいけない。

声をかける勇気が必要。

気が合わなかったらどうしようとか、誘ってもらえなかったらどうしようとか怖さも生じる。

他人が関わるとハードルがあがる。

 

人にはそれぞれ段階があるから、

自分を見つめることが必要な人もいるとは思う。

外の色んなものに振り回されて、疲れている人はまず自分の足元を固めるのがいい。

でも、それが終わったら、ぜひ外に視線を向けて欲しい。

怖くても少しずつ人と関わって欲しい。

 

だって、自分を一番よく知る方法は、他人と関わることだから。

人の言葉が、そこに生まれる関係性が、自分を教えてくれる。

あなたの存在も、誰かの存在を形作るものとなる。

 

僕の場合、その傍らにはいつも写真がある。

 

写真は出会いを加速させる装置

仕事をするようになってから、もうたぶん何千人も撮ってきてる。

一般の方から、芸能人、学者、ミュージシャンと色んな分野の人を撮ってきたけれど、

皆、写真をやっていなかったら出会うことはなかった人達だ。

 

「写真を撮らせて欲しい」って言うだけで、全然関係のない人にいきなりアクセスできるようにもなる。

僕が写真をやっていて楽しいのはそれだ。

写真を撮るという大義名分で、興味の元へ行くことができる。

 

依頼されて撮る仕事も、僕自身が撮りたくて作った仕事でも変わらない。どんな相手でも最後のお願いは「写真を撮らせて欲しい」だ。

そうして出会いは加速していく。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
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※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

やりたいことをやらない方が僕には怖い。【写真との出会いから独立するまでの話①】

 何からお話しようかなぁと迷ったのですが、まずは少し詳しい自己紹介として、僕がカメラマンとして独立するまでの話を最初にしていこうと思います。

 

僕と写真と出会い 

みなさんと写真の出会いってどんなものですか?

 

僕は父の姿を思い浮かべるとき、いつもカメラを持った姿が出てきます。

父はしょっちゅう僕のことを写真に撮ってくれていました。

カメラを構える父の姿。

それが、僕の写真の原体験です。

 

子どもって、身近な大人が持っている物に憧れるんですよね。

僕がカメラに興味を持ったのは、僕を撮る父の姿からでした。

 

小学校3年生位の頃、父が新しいカメラを買い、それまでのものを僕にくれました。

初めての自分のカメラは、OLYMPUS-PEN EEというハーフサイズのもの。

 

僕はそれで友達や街を撮ったり、遠足のときに持って行って撮影をしたり。

カメラを持って、触って、操作してということ自体を楽しんでいました。

 

カメラマンという職業を意識したとき

 そうやってカメラで遊んでいた僕ですが、初めてカメラマンという職業を意識したときのことは、今でもはっきりと覚えています。

 

高校2年生のときに、当時付き合っていた彼女の家に遊びに行ったときのことです。

彼女の家は製版関係の仕事をしていて、その関係でポスターや印刷物が

よく壁に貼られていました。

 

そこにあった1枚のポスターが、僕の人生を変えました。

 

それは、子どもを抱き、民族衣装をまとった黒人女性が遠くをキリッと

見つめている写真でした。

文字は、「わが心のスーパースター」というコピーと、下の方に入った「PARCO」という名前だけのシンプルなもの。

 

僕は、それを見たときに、

「あ、写真って、仕事になるんだ」って思ったんです。

 

写真やカメラにまつわる仕事はたくさんあります。

カメラを販売する人。

街の写真館。

他にもたくさん。

 

でも、僕はそのポスターを見たときに、初めて「写真が撮ることが仕事になる」ということをリアルに感じて、「僕、これしたい!」って強烈に思ったんです。

それぐらい、そのポスターは格好良かった。

 

「僕、これやる。これで人生やってく」

 

僕が写真で食べていこうって決めた瞬間でした。

 

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カメラマンになると決めて、まずしたこと

 今と違ってインターネットもない時代。

どうやったらカメラマンなれるかなんて、全然わからない。

 

当時の情報収集といえば、まず本。

僕は本屋さんへ行き、隅から隅まで、写真やカメラに関する本を漁りました。

 

そうしているうちに、僕は「COMMERCIAL PHOTO(コマーシャル・フォト)」という雑誌を見つけました。

 

それはいわゆる業界誌で、TVで流れているコマーシャルや、街や電車で見かけるポスターや

広告、新聞広告、そういったものをどんなスタッフが作っているかというのが

書かれていました。

 

僕は毎月その本を買うようになり、夢中で読みました。

すると、だんだんと「この広告いいなー」と、自分の好みが見えてきます。

次に「自分が好きになる広告は、この人、このメンバーが作っていることが多いなぁ」というのが見えてきました。

 

そこで、僕は、好きな広告を作っている人の名前をリストアップすることにしました。

それが僕がカメラマンになるためにまずやったことです。

 

Pがカメラマンで、ADはアートディレクター、STはスタイリストの略語だとか、そういうのも、そこで覚えていきました。

 

 

好きなものの近くにいく

 あるとき、コマーシャル・フォトのコラムか何かで「原宿セントラルアパート」を知りました。

これも、僕がカメラマンになる中で出会った、大きなものの一つです。

 

どうやら原宿にセントラルアパートというクリエイターが集まっているマンションがあるらしい、ということを知った僕は、早速そこに行ってみました。

建物の中にはもちろん入れません。

でも、入り口にあるポストには、僕がリストアップした人達の名前や事務所名が書いてあるんです。

 

ここに、僕が憧れている人達がいる。あの世界がここにある。

 

それだけで、僕はワクワクしました。

 

中には入れないけど、1Fにセントラルパークというカフェがあったので、休みの日にはいつもそこへ行って、当時流行っていたインベーダーゲームをやったり、隣のテーブルで行われているデザイナーの打ち合わせに聞き耳を立てたりしてました。

 

当時はお金もない高校生で、たいしたおしゃれができてるわけでもなく、子どもが精一杯背伸びをして大人の世界を覗き見しているだけでした。甘酸っぱい!甘酸っぱいよ!

でも、そうやって、漠然と憧れていただけの世界へ近づいていき、その空気や行き交う人達の姿を見て、実体を感じていたことは、とても大事だった。

 

だから、僕は今、ここにいるのだと思う。

 

 

僕は音楽の道に進みたかった。でも、諦めた。

話は変わりますが、中学1年生の時に、僕は入学式で見た演奏に感動して、ブラスバンド部に入り、ホルンを吹いていました。

当時は音楽に携わって生きていけたらなって思ってた。

 

けれど、中2のとき、親の事情で引越して、何となく音楽からは離れてしまった。

転校先にブラスバンド部がなかったのがきっかけだけど、それだけではなく、僕はどこかで音楽で食っていくのは自分には難しいんじゃないかなって感じてたのだと思う。

たとえばホルンを続けていったとして、音大に入って、演奏だけで食べていけるようなオーケストラに入ることが出来るのか。オーケストラにホルンは数名。僕がそこに入り込めるのか。

 

僕が育った家は貧乏だったので、好きなことを続けるためには、それを職業にするしか方法がなかった。そこまで詳しく考えていたわけではないけれど、仕事をしながら、好きなことは趣味にして、それにお金を使うという生活がイメージできなかった。

 

だから、好きなことをするためには、それで稼がなければいけなかった。

 

きっぱりと諦めた瞬間があったわけではないけれど、僕はそうやって音楽の道に進むことを自分の中から徐々に外していった。

 

ブラスバンド部時代の仲間には、ずっと音楽を続けてそれで食べているやつが何人かいる。

だからね、今でも正直いいな~!って思うよ。

写真はもちろん好きだけど、音楽もやりたかったことだから。

 

僕は自分がカメラマンになると信じて疑わなかった。

 音楽はそうやって徐々に離れてしまったのだけど、写真は常にそばにあった。

そして、先に書いたように、僕は高校生のとき、それで食べていこうと決めた。

不思議と写真に対しては食べていけないかもとはまったく思わなかったんだよね。

 

僕は、自分がカメラマンになると信じて疑わなかった。

 

何でそう思えたかというと、身の回りに写真が溢れていたから。

雑誌を開いても、街を歩いても、写真があちこちに使われている。

それらは全て誰かが作っている。だから、これで食べていけないわけがないと僕は思っちゃったんだよね。ホルンで食べていくより、ずっと簡単なはずだって。

だから、あとはどうやってなるかってだけだった。

 

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やりたいことをやらないほうが怖い

僕は、写真に限らず、何かやりたいことがあるけど迷っている人達から「どうすればいいですか?」と聞かれることが結構ある。

 

そういう人達の話を聞くと、迷っている理由は色々だ。

「普通」から外れるのが怖い。

本当に自分に向いているのかがわからない。

失敗したらどうしよう。

 

でも、よーーーーく話を聞いてみると、それらの話は全て

 

「色々時間もお金もかけて、稼げるようにならなかったら、どうしよう!それはいやだ!」

 

ってのに集約されることがほとんど。

 

だって、好きなこと仕事にして、満足できるだけのお金が稼げることが約束されてるなら、誰も迷ったりなんかしなくない?

でも、うまくいくかどうか約束なんてされてないから、みんな迷う。

 

でも、それでも僕はこう思う。

やりたいことをやらない方が怖い。

 

やりたいことあるのに、それをしないなんて、僕には、その方が勇気がいる。

 

僕は、家の事情から、やりたいことを続けるためには、それを職業にするという方法しか思いつかなかった。だから、その方法を探して実行した。

 

もし自分が好きなことを本当に職業にしたいのなら、いくらでもチャレンジすればいい。

ただ、いきなり職業にすることを目指さなくてもいいと思う。

そうしたら失敗もそんなに怖くないはず。

 

本当は、失敗したっていいんだけどね。

また別のものを見つければいい。

もしくは、新しい作戦練って再チャレンジすればいい。

 

 

失敗しないから大丈夫。

 あと、極端なことを言うけど、

うまくいかなかったらどうしようと悩んでいる人へはこう伝えたい。

 

失敗しないから大丈夫!

失敗しないしないようにすればいいんだから!

 

ああ、怒られそう。

「そんなわけない!」って。

 

でも、失敗しないようにやり続けるしかないじゃん。

その方法を懸命に見つけるの。

そうしたら、大抵のことは、そこそこのレベルまでいきます。

 

どんなに頑張っても、僕は100mを9秒で走れない。

そういう元々の能力や年齢に大きく左右されるものはある。

けど、本当に走ることをしたいのなら、今よりタイムを1秒縮めることはきっと可能。

 

問題なのは、そこまで取り組めるかどうか。

一つのことをあるレベルまでもっていくためには、かなりの時間と労力を注がなきゃいけない。戦略を考え、実行しても上手くいかないこともある。でも、それは失敗じゃない。「その方法では上手くいかない」ということがわかっただけ。多くの人はそこで諦めてしまうから、失敗になってしまう。また別の方法を考え実行すればいい。

 

つまり、それを面倒だと思わずに続けられるものに出会えるかどうかが一番のポイントなのかもしれない。

 

そして、それをしながら生活が出来るかどうか、なのかな。

 

ちなみに、そこまで取り組めなかったら、それでもいいんですよ。

それは「自分には向いてなかった」、「そこまで好きではなかった」ということがわかったんだから。

それも、やってみないとわからないことです。

また、別のものを探せばいい。

 

 

好きなものを「自分の一部」にする

好きなものがある人は、それを「自分ごと」にしたらいい。

「自分にとって当たり前のもの」にする。

 

気になるものについて調べまくる。

その世界の近くへ足を運んでみる。身を置く。

毎日そのことに取り組む。

 

絵が好きな人なら、絵のことについて調べるのはもちろん、絵を描くということを日々の習慣にしてしまう。

習慣ということは、自分の生活に絵が組み込まれるということ。

すると、あなたの人生は絵が組み込まれたものへと変わります。

そしたら、それまでの人生とは変わって当たり前だよね。

もしかしたら、絵にかける熱や時間の分量がどんどん増えていって、もっと大きく人生が変わっていくかもしれない。でも、その時、それはもう自然な流れとなっているはず。

 

「好きなことをして生きていこう」って聞くと、今の生活を捨てて、それに賭けなければいけないと思っちゃう人もいるけど、そんな大博打はしなくていい。

 

まずは、好きなものを自分の人生に組み込んで習慣にしてしまいましょう。そうするとあなたはもう今までのあなたではありません。

好きなものが組み込まれた人生がそこから始まります。

 

「好きなことを仕事にする」の始まりもそこからなんじゃないかな。

 

これから進路を決める若者なら、学生生活を送りながら好きなものを生活に取り込んでいけばいい。仕事にしたいなら積極的に動けばいい。すでに働いていて、好きなことをやりたいけど勇気が出ない大人は、まずは今の生活の中に少しずつ好きなものを取り込んでいけばいい。

 

僕は、そうやって高校時代を過ごしてきて、

卒業後は写真の専門学校へ進むことにしました。

お話はつづきます。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=KTrLKOeo-_8
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

 

カメラマン水谷充です。まずは自己紹介。

こんにちは。

水谷充といいます。

 

はじめて知ったよ、という方も多いと思うので、まずは簡単に自己紹介をします。

 

僕は、カメラマンです。

写真を中心に映像製作の仕事などもしています。

 

1959年11月18日 東京都生まれ 蠍座のB型で、

25歳でカメラマンとして独立して、今年で35年目に入りました。

 

雑誌、レコードジャケット、CMなど様々なメディアで活動をしてきて、現在は時代の変化と共にWEB媒体での仕事も多くなっています。


今までも自分の日常のことや、仕事のこと、日々の中で考えたことを書いたブログは何年も続けていました。

新しくやることにしたこのブログは、YouTubeで僕が話したことを文章にしたものです。

そのうち写真やカメラの話もするかもしれませんが、基本的には全然関係のない話をします。

僕が今まで生きてきた中で感じたこと、考えたことを話していくので、写真や仕事の話はバンバンしますが、というか、切り口はほとんどそれになりそうなのですが、お話したいのは、その先にあります。

 

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ちなみに、どうしてこうやった発信をしようかと思ったかというと、

 

僕ね、先日60歳になったんです。

還暦ですよ。還暦。早い。あっという間でした。

本人的にはおめでたいのかどうかも、ちょっと微妙なくらいです。

でも、一回り生きてきて、カメラマンとして独立してからは35年です。

 

生まれて60年。独立して35年。

もっともっと経験を積まれている人生の先輩方は周りにもたくさんいます。

でも、自分的にやっぱり節目の年だなあと感慨深いんです。

 

頑張ってきたなあ、よくやったなあということもあるし、もっとこうしたらよかったって後悔してることもたくさんあります。

そして、これからこんな事してみたいっていうのも、まだたくさんあります。

この節目の年に、一度自分自身をしっかり振り返って、そういったものたちをまとめてみようかなという気分になったんです。

そうしたら、今までの色んな思いや考えやエピソードが僕の中にぶわっと湧き上がってきました。それをどこかに残したくなったんです。

 

カメラマンを目指している人、人生の中で何かを探している人、壁にぶつかっている人、面白いものを探している人、もしかしたら、そんな人達に対するささやかなヒントになるかもしれない。

 

僕はすっごいおしゃべりなので、話したいだけっていうんもあるんですけど。

でもそれを残すことで、たった一人でもいいから、何かを拾ってもらえたら嬉しい。

反面教師にもしてもらいたい。

 

そんな理由で、はじめます。

 

ちなみに、このブログはYouTubeを文章化したものとお伝えしましたが、そのまま文字起こししてるわけではなく、ブログだけの話も登場すると思います。

動画ではほとんどアドリブで話しちゃってるので、こちらではまとめたり補足したり。

だから、両方楽しんでもらえると、うれしいです。

 

それでは、よろしくお願いします。

【今回の元動画は→https://www.youtube.com/watch?v=y7dC6a1ajKE