LIFE LOG(ホネのひろいば)

【フイルムからデジタルへ】写真に起こった大変革をどう受け止めたのか

 

自分の目の黒いうちに、写真を取り巻く環境がこんなにも劇的に変わるなんて、予想もしていませんでした。

デジタル革命っていうのかな。まさに革命的変化でしたね。

 

おそらく今、写真をやっている方は、デジタルカメラの時代になってからという方も多いのではないかと思います。そういう方には、当たり前のことも、フイルム時代からやっていた人にとっては、とんでもない大きな変化だったんです。

 

デジタルって何だ?

 

僕がデジタルカメラを使うようになったのは、ニコンD100からなので、それほど初期からというわけではありません。4×5ビューカメラの後に取り付け、RGB3回スキャンするというようなカメラも、きわめて初期の頃にありました。

ただ価格が500万円くらいしていたと思います。とても手が出せません。投資が回収できない。それと同時に、本当に、これが実用的に使えるのか確信が持てないというのが正直な気持ちでした。

 

1994年にカシオのコンパクトデジタルカメラQV-10が発表され、翌年定価65,000円で発売になりました。これは、一部のプロカメラマンだけじゃなく、一般の写真好きの方からも注目を集めました。

そして1999年に、ニコンD1が発売になり、後に(2002年)ニコンD100が、実売価格250,000円強という、誰でも買おうと思えば買える、現実感のある値段で登場しました。そうなると、いよいよ試しに使ってみるかという段階です。僕もこれを買って、ともかくデジタルカメラを使い出したわけです。

 

 

技術革新の感触は得られたものの、まだ不満も多い。たとえば、少し連写すると、メディアへの書き込み待ちでカメラが固まってしまう。Rawも、ファイル容量が大きいせいか、56枚連写すると固まってしまう。とてもフイルムカメラのテンポで撮ることはできません。

また、フイルムで言うラチチュード(デジタルではダイナミックレンジ)も、フイルムと比べて余裕がない。特にトビ側に弱く、ちょっと露出オーバーすると、スパッと白トビしてしまう。その境目はトビ側もつぶれ側も極端で、いきなり破綻するという感じ。

 

当然、撮影後のプロセスもフイルムとはまったく違う。

暗室ではなく、すべてコンピューターで処理するということになる。フイルム時代に蓄積したノウハウはあまり役立たない。

なんとも難しいもんだというのが、正直、当時の受け止め方でした。

本当に、この方向に行くのかなぁ~嫌だなぁ~って、けっこう悶々したのを良く覚えています。それで、仕事なんかだと、フイルムとデジタルの両方持っていって撮っておくみたいなことを、けっこうな期間やっていました。

 

写真のことを音楽が教えてくれた

 

デジタルと、どう付き合っていこうかを考えたときに、ある程度理屈の上で理解しておかないと方針が決められない。

さて、どうしたもんか。けっこう考え込んでしまいました。

 

あるとき、ふと思ったんです。

「そういえば音楽の世界は、レコードからCDへ劇的な変化があったじゃないか」

 

CDプレーヤーは1982年に登場しました。発売に前に、面白い事が言われていました。

それは、「CDは再生機種ごとに音が違ったりしない」「どのメーカーのどの機種でも、同じ音がする」と。

ところがいざ発売してみると、ぜんぜん違っている。まぁ、それは考えてみると当たり前のことなんですよ。デジタルからアナログに変換してから、アンプに送り出すまでのアナログプロセスの回路は、各メーカーが独自の設計でやっているわけですから。

なぜ同じ音がするなんて言われていたのか、今思うと不思議です。

 

CDは多くの人がワッと飛びつき、爆発的に普及していきました。簡単、便利というところが受け入れられたのでしょう。

ただ、肝心の音はどうだったでしょうか? 普及価格帯の機種などは、正直言って、満足な音が出ていなかった。ノイズもなく綺麗な音なんだけど、なんというか、音が薄っぺらで長く聴いていられない。音楽を聴いていて、楽しいとか、落ち着くなぁとか、癒されるなぁ~という感じがしない。聴き疲れしてしまうんです。

 

やがて機器メーカーも、DA変換のところにお金をかけはじめました。

DAコンバーターのチップも、フィリップス製がいいとか、いや、バーブラウン製が優れているとか、選別品を使ってるとか、パラレルだ、左右独立だと様々な工夫を凝らして新機種を出してくる。またデジタル回路とアナログ回路の電源を分けてますとか、気がつけばDAコンバーターだけで、3040万という高額なものも出てきた。

さらに一つの半導体でやっていたDA変換をディスクリート回路でやったりと、より凝ったものも出てきた。

CDトランスポートも、物量を投入して、外部からの振動をシャットアウトする工夫やら、自らの回転で生ずる共振を排除するだの、大袈裟なくらい重たいプレーヤーなんかも出てきた。

あれ?デジタルデーターを読み出すだけなのに、こんなにしないといけないの?と、もうある意味で滑稽ともいえる状況になってきました。

デジタルデーターをアナログに変換する”まさにたったそれだけのことに、こんなにも苦心している。

「だったらレコードで良かったじゃん」と感じました。 

 

レコードっていうのは、アナログデータです。溝に刻まれた凹凸を針でこすって、その振動を電気的に増幅して音にする。その周波数の変化をグラフ化すると曲線が滑らかなんです。一方、CDは、デジタルです。二進法の符号に変換してますから、曲線は極端に言えば、階段状なんです。DA変換の際に、この段差をなだらかに補間するなんてこともやってる。

どっちにしても、もの凄くお金をかけて、技術者が苦心していることって、アナログレコードをやめてCD化にしたことで失ったものを取り戻す作業をやっているということ。

まぁ、それがデジタルを理解する上で、自分なりにとっても腑に落ちたというか…。

 

それと同時に、とってもわかっちゃったことがあるんです。

それは、アナログかデジタルかっていうのは、保存の方法なんですね。

つまり、演奏された音楽というものを保存しておくためのやり方、形式の話なんですね。

 

そうやって音楽のことをずっと考えていくなかで、「あれ?写真も同じだ」と気がついたんです。

つまり、保存の方法なんだってことなんです。

 

保存の方法が違うのだから、その保存されたものを取り出すときのプロセスが変わるのは当たり前だということ。

そこを納得できてから、フイルム時代に暗室でやっていたことをコンピュータ(フォトショップ)でやるということが自分の中でイコールになりました。

「あ~そういうことか」と、霧が晴れたような感じがしました。

 

デジタルとの付き合い方

 

撮る段階で、ちゃんと撮っておかなければいけない。これは、デジタルかアナログかは関係ない。どっちも同じなんです。

つまり保存の方法が変わっただけなので、それ以前の段階で、やっておかなければならないことは、実のところあまり変わらないんです。

 

たとえるなら、『フォトショップでモデルさんの機嫌は直せない』ということです。

変形ツールを使って、ちょっと笑顔にしてみるとかは可能かもしれないけれど、心の底から気分があがっている。ワクワクしているとか、そういった感情から表情に滲み出てくるものは、なにか形をいじって再現できるようなことじゃない。

ですから、撮る段階でしっかりやっておく。

そしてデジタルという保存方法に見合った、復元させるために注意深くやっておかなければいけないことも撮る段階でちゃんとやっておこう。

当然、復元のプロセスのところで必要な作業には、どんどん馴れていかなければいけない。

そして復元させた画像ファイル。僕の場合はTIFFで納品する事が多いので、このTIFFデーターの完成度を上げていく。飛んでません。破綻してません。つぶれてません。変な偽色がありません。

さらに、自分の表現したいものがちゃんと反映されているか。こういう風に感じてもらいたいからこういう写真を創りました、という気分とか、そういったことが、ちゃんとできているかどうか。それに尽きるなぁ~と、そこに気がついたんです。

 

そこからデジタルを使うということに躊躇がなくなりました。当然、印刷のワークフローがどんどんデジタルの方向に変わって行ったので、少なくとも印刷ビジネスにおいては、フイルムでやることのメリットがなくなっていったというのが時代の流れなんです。それに対して、自分も合わせて行ったということだったと思います。

 

ともかく、デジタルとは何かを納得するところから、いろんなことすべてがスムーズに流れ出したということなんです。

 

f:id:mmps-inc:20200511223234j:plain

 

【写真上達の基礎トレーニング】独学時代にやっていたカメラトレーニング法

 

今回は、独学の時代に、“写真集を観て分析”の他に、カメラに馴れるためにやってたトレーニング法についての話です。

写真の知識を深めるだけではなくて、その道具をしっかり身につけていこうと考え、けっこうな長い期間やり続けていました。

 

レーニング法詳細

 

まずは標準レンズと言われる50mmレンズ(35mmカメラの場合)の画角やパース感を自分の感覚に刷り込むというものです。

やることは簡単で、50mmしか使わないようにするわけですが、さらにカメラの設定にもある縛りを与えます。

 

 50mmレンズ

 フォーカス:2.5m

 絞り:5.6

 シャッター速度:1/250

 フイルム:Plus-X(公称感度125のモノクロフイルム)

 

この設定に固定して、なんでも撮影します。

もちろん2.5mを意識して撮ることが大事です。

人を入れ込んでの街撮りスナップなら、2.5mに人が入ったなぁ~と感じたら撮る。

50mmF5.62.5mなら、概ね2m3mの範囲が実用的なピント域(被写界深度)に入りますので、何を撮るにしても、それを考慮して自分の立ち位置を決めていくわけです。

 

様々な場面、様々な光、様々な時間帯。

昼間も夜間も。

絞りとシャッター速度の組み合わせは固定したままです。

 

現像も厳格に一定のプロセスを守ります。

 

 現像液:コダックD-7611希釈)

 現像タンク:ナイコール式ステンレスタンク(2本用)

 液温:20℃

 現像時間:630

 攪拌方法:当初は、理想的攪拌方法の模索を兼ねて様々な方法をその都度採用します。

 

と、こんな調子でフイルム現像を終えると、コンタクトプリント(ベタ焼き)をとっていきます。

 使用印画紙:フジブロWP 3号(レンジコート紙)

 印画紙用現像液:フジ パピトール

 光源:引伸機を使用(ヘッドの高さとレンズの絞りを一定に)

 ガラス板:ガラス屋さんで調達した厚手の強化ガラス

 

と、ここでも設定を保ちます。

露光時間は、あらかじめ露出計で適正露出を導き出して撮影されたネガを使い、

フイルムが乗っていない部分の黒が締まっていること。

フイルムの枠部分が適度なグレーで表現されること。

画面上のハイライトがしっかり黒く、ディープシャドウが抜けてしまう一歩手前。

といった辺りを基準に決めました。

 

この露光時間も、ずっとキープです。

 

さて、こうした方法で仕上がったコンタクトシートはどうなっているでしょう?

写真をやっている方なら、すぐ想像がつくと思いますが…

 

明るさが、見事にバラバラなんです。

カメラの設定を固定しているわけですから、当然の結果です。

ギュッと画面全体が黒っぽいアンダーなものから、白トビするほどにオーバーなものまで、様々な明るさのものが混在しています。

そんな中で、幾つかあるちょうど良さそうなカット選んで焼いてみます。すると、まぁ~キレイなバランスで焼けたりする。

 

この処理で、世の中がどんな光のバランスで照らされているかを実感したかった。

カメラのメーターや単体露出計の指示値(肌色を18%グレーに再現する露出)を追うのではなく、昼と夜、あるいは屋外と室内など様々な光の下で日常的に実感しているものを形にしたかった。

 

続けた結果、Plus-Xというフイルムの持つラチチュード(許容度、寛容度)が感覚的にわかってきます。

 

これらを通じてなにを得ようとしたのか

 

「自分自身の感覚に、判断材料となる基準を作ること」

 

50mmレンズの感じ:撮影内容に応じてレンズ選択をする際の基準づくり

2.5mの距離感:身体で感じる距離感覚の精度を上げる

露出:描きたいものを描くための設定基準

基準となるフイルムを持つこと

フイルム現像時にパーフォレーションムラを避ける理想的な攪拌法

 

ということなんです。

 

当時、かたくなにこれをやったのには、もう一つ裏事情があります。

特に撮りたいものがなかったんですよ。

というか、なにを撮っていいかわからなかったというべきか。

 

パルコのポスターにピンと来て、写真を仕事にすると決めた。

喰っていく方法を模索するということが先にあったので、そもそも写真とはなんぞやとか1ミリも考えていなかった。

ただ撮り手としてなにを強化していく必要があるかと考えた末の行動でした。

 

この時期にやっていた、写真集分析や絵画の展示を観に行ったりすることを通じて、感覚を育て、道具への理解を深めることで、写真に落とし込む作業のレベルが上がっていくだろうと思っていました。

 

結果はどうだったでしょう?

 

独立して35年、これでご飯が食べられているということもありますが、

やはり写真を考えているとき、あるいは現場で状況変化への対応を迫られるときなど、常にこのときやっていたことが判断の物差しとして機能しているように思います。

 

こうした考え方は、デジタルの時代になった今も、変わらずに続いています。

 

次回そのあたりを踏まえ、デジタルのワークフローについての話をしようと思います。

f:id:mmps-inc:20200419144318j:plain

 

【こちらは YouTubeの動画をテキスト化したものです。
元動画はこちら→https://youtu.be/XVTEUdByBfY



 

 

 

【写真のテーマ探しに悩んでる人へ】内的アプローチと外的アプローチ

 

悩める人に、思考法を伝授します

“写真のテーマが見つからない”

“テーマの絞込みをどうやったらいいのか”

 

そうした質問を受けるケースが、思いのほか多いのです。

撮影は、しているが、まとめ方に悩む。

そんな質問もありました。

 

今回は、こんな人を想定して、

内的アプローチと外的アプローチ、二通りの思考法の話をします。

 

内的アプローチ:自分自身の生活や心のあり方から答えを探す

外的アプローチ:他者のニーズ(マーケティングリサーチ

 

もしあなたが、下記の様な人で、制作の足取りが鈍っているならば、

ぜひ、やってみて欲しい思考法です。

 

・写真が最も大きなウエイトを占める趣味である

・写真で自己表現したい

・写真展をやりたい

・ブック(作品集)を充実させたい

・写真を仕事としてやっている

・仕事ではないが写真の人として認知されるレベルには到達したい

 

たとえば「季節もいいし、どこどこの滝の辺りの新緑の芽吹いた風景を撮りにいこう」

写真好きな人には、当たり前の感覚だと思いますが、

名勝地に行って風景を撮っただけでは、そこに自分自身を反映する云々ってことにはなりずらく、観光写真のようになってしまいます。

こうしたものは、ここで言うところの作品ということではありません。

写真によって社会と関わっていこうとすること。

そうした写真作品の制作を目指している。

そうした方に向けた話だとご承知ください。

 

なぜ、こんな前置きをくどくどと言うのか…

それは、継続することの難しさなのか。

実力のある方でも、どこかで足が止まってしまう。

見応えのある作品群で個展をやったような方であっても、2作目、3作目がなかなか出てこない。

そんな人が多いなぁ~と、感じているからなんです。

 

僕は、質問を受けると、まずはこのように聞いています。

「自由に使える時間はあるの?」

「仕事がお休みの日は、どう過ごしているの?」

 

本業も忙しく、時間に限りがある。

休日は、疲れた身体を癒すことも必要。

ご家庭をお持ちなら、家族サービスもあるでしょう。

そんな中に、写真制作を割り込ませるのは大変なことです。

しかし、日々が忙しいということは、それだけ多くのテーマが眠っている可能性があるんです。

 

ぜひ、それらを掘り起こして、写真制作に動き出して欲しいのです。

 

内的アプローチとは?

まずは、自分自身の日常を再検証することからです。

 

まずは、通勤時間を有効に活用します。

たとえば電車内でも、眠いなぁ~とうつらうつだったり、漠然とスマートフォンを眺めたりをやめて、写真を撮る人の視点で、目の前に起こる様々な場面をちゃんと見るようにしてください。

 

電車内の人。

窓から見える街並み。

季節の変化。

 

あまり一生懸命探すのは違うかもしれない。

ぼんやりと眺める感じでいい。

自然と目に飛び込んでくるものに、自分の気持ちがフィットするもの。案外、見つかるんじゃないでしょうか。

 

仕事そのものにも注目です。

会社の同僚や上司、部下がモデルにならないってことはないと思う。

職種にもよるかもしれませんが、その仕事に就いていなければ見れない世界ってものがあるはずです。

職場環境や仕事の道具ってのもあります。

それらと、自分の好きな写真ってものを結び付けていく。

 

僕の印象なんですが、仕事は仕事、写真は写真と、分断しているというか、

別のものとして扱っているような傾向が感じられます。

なぜそう感じるのかというと、けっこう立派な企業にお勤めの方から、

仕事の世界観を感じさせてくれるような写真を見せてもらった事がない。

もっとも写真ってものを、仕事と切り離して、いわゆる“憩いの場”という感覚の人も多いのかもしれない。

気持ちはわかるのだけど、それは、もったいないと思うんです。

 

写真作品は、「自分自身の内面や人生観が表現されるようなもの」

と思っているなら、自分の日常が作品になるとは、考えていないのかもしれないですね。

だけど、日常の中にこそ人生観を形作る秘密があると思います。

 

他にも沢山あります。

行きつけの店、そこの人間関係。家族や友人。

好きなもの、好きなこと。

カバンが好きとか、靴とかも、修理しながら長く愛用するって人も多いのでは?

 

そういうものちゃんと撮ってますか?

 

家事だって面白い。

僕は、お弁当をきっちり撮って成功をおさめた方を知っていますが、

自分の身の回りには、テーマになりうるものが沢山あると思うんです。

 

まずは、ちゃんと見つめなおしてみることを強くお勧めします。

 

外的アプローチとは?

 

単純にいえば、他者のニーズということです。

 

やることは、ビジネスの世界では当たり前に行われる

マーケティングリサーチの手法。

 

人が何を求めているのか。

何に渇いているのか。

世間の欲求を調査分析して、人が欲しがるものを創るという発想です。

 

写真って、けっこうこのやり方がハマルんじゃないかと思っています。

 

ただ勘違いしないでください。大衆迎合しろって話じゃありません。

考えを組み立てていく手法として。

これは、やり方の話なんです。

 

今、人が何を欲しがっているのか、何に渇いているのか、

そういったことを考えていく中で、自分の心のあり方に触れるものがあったとしたら、

十分作品のテーマになりうるんじゃないでしょうか。

自分の興味を他者の興味と結び付けてみる。

接点を探してみる。

そういった思考の方法は、もしテーマ探しに迷っているなら、やってみる価値は大いにあると思います。

 

人は何に心をザワつかせるのか。

自分はどうなんだ。

そもそも自分自身だって、その社会の一員です。

そうした社会と自分との接点を、制作する前段階からしっかり見つめ想定していく。

 

誰が見たがるんだろう。

見た人がどう感じるだろう。

 

表現である以上、誰かに見てもらいたいわけです。

であれば、誰が見てくれるのか、誰がお客さんになってくれるのか。

それを想定してみることは、考えをまとめていく上で、大事なことなんですよ。

「社会の求めるものを創る」と、単純に言葉通りに受け止めないでください。

 

外的アプローチで何を見つけるのか。

それはけっきょく、「自分とは何か」なんです。

 

もう一度、言います。

他者のニーズにフィットしたものを創れという話ではありません。

あくまでも考え方。考えを組み立てていく方法として、ということです。

 

内的アプローチ、外的アプローチをセットでやっていくことで

ボヤけていた自分の考えが、シャープになっていくんじゃないでしょうか。

答えがリアルになっていくんじゃないでしょうか。

 

具体的な方法をもう少し掘り下げておきましょう

 

・身近にある好きなものを撮る

服、靴、カバン、ガジェット類、アクセサリー

趣味のコレクション。

日用品だっていい。

では、どう撮るか。

プレーンな背景で、定型の撮り方に拘ってみるのか。

使用の場面で撮ってみるのか。

モノだけ? 

何かと組み合わせる?

 

・好きな人

恋人や家族?

仕事関係ならプロジェクトメンバー括りとか?

どこで、どう撮るのか。

一人を追うのか、人数の蓄積でいくのか。

スタジオなのか、相手のテリトリー(ロケーション)なのか。

 

・趣味

趣味を一緒に楽しむ人。

モノに着目する。

展示やイベントのプロセスをドキュメントする?

その歴史的な成り立ちや、ルーツを追う?

 

素直に撮ってもいいけれど、アイデアをどんどん発展させていくこともできる。

広がりは無限。

 

身の回りのモノや事象を撮ることは、

つまりセルフポートレートなんですよ。

 

「写真のテーマが見つからない? いえいえ、あなたは、すでに持ってますよ」

それが一番、僕の伝えたいことなんです。

 

f:id:mmps-inc:20200313135711j:plain

 

【こちらはYouTubeの動画をテキスト化したものです。
元動画はこちら→https://youtu.be/XVTEUdByBfY

ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

 

【年上・年下とうまくつきあう方法】コミュニケーションの基本を教えます!

 

年齢差のある人とのコミュニケーション

人とのコミュニケーションで、特に年齢差のあるケースに苦手意識を持つ人は少なくありません。

学生時代は、ほぼ同じくらいの年代の人と過ごしていますが、社会に出るとその幅は一気に広がります。もう自分に近い年齢層の方との付き合いだけでは済みません。

安住の地から大海に放り出される感覚。

なんとなく戸惑ってしまう方が多いのも、仕方がないことかもしれません。

 

僕のやっている仕事、カメラマンは、特にいろんな年代の人と仕事をする機会が多い。

下は10代の新人タレントから、上は大ベテランのプロデューサーまで様々で、あらゆる年代の方と関わります。

グラビアなど芸能に関わる仕事なんかやっていると、うんと年の離れた若い女性との関わりがとても多い。

 

今回は、仕事上の経験からの話になりますが、僕なりにコミュニケーションで気をつけてきたこと、コツみたいなものをお話しようと思います。

 

僕のキャリア初期に、今もバラエティー番組で活躍する井森美幸さんが歌を出していて、僕がレコードジャケットを撮っていたんです。

当時、彼女は、まだ10代でした。たしか16歳だったと思います。

それから、とんねるず秋元康の流れで、おニャンコクラブ うしろゆびさされ組など、現役高校生達と仕事をする機会が多かった。

新人女優さんのDVDをつくるということで海外ロケに行ったりもしました。

雑誌のグラビアでも、ほとんどが自分よりもずっと若い女の子がモデルさんだったりします。

 

年下とのコミュニケーションは、まず話を聞く

簡単に言ってしまうと、「年下の女性は、年上のように扱う」です。

つまり子ども扱いしないこと。

 

たとえば12歳の新人女優さんと海外ロケに行ったときのことです。

入れ替わりで、12歳から16歳までの4人を撮ったんですが、とにかく全員、どの子も大人の女性として扱いました。

考えてみると、女優さんとして、タレントとして、仕事をしにそこに来ている。

12歳の子だって、親が一緒にいるわけじゃないんです。もちろん所属事務所のマネージャーさんはいるわけですが、とにかく一人の人として、仕事をしに来ているという前提で関わります。

誤解されそうですが、わかりやすく言うと、チャンスがあれば口説いてやれくらいの気持ちで大人の女性として接していました。

 

だから、撮影のときも「可愛いね~~」みたいな盛り上げ方はしない。

顔が小さいね~とか、足が長いね~とか、身体的な美点もそこそこでいい。

そういうのって本人の責任じゃないんです。だからあまりそういった部分ばかりを褒めても、心の中は妙に醒めてたりするんじゃないでしょうか?

そういうのって、自分が子供だった頃に考えていたことを思い出してみれば、なんとなく察しがつくことじゃないでしょうか。

 

とにかく子供子供した扱いは一切しない。

じゃあ、どうするのか。

そんなに難しいことはありません。話を聞くんです。撮影の合間の移動中や食事のときなど。とにかくその人にちゃんと興味を持って話を聞きます。

「あなたは何を考えているの?」と、いろんなことを引き出します。

もう、話すのが快感になっちゃうぐらい聞きますよ。

そして僕に興味を持ってもらえるような話をしたりもします。

「僕はこんなことを考えています」ってね。

つまり話のキャッチボールを積み重ねるんですよ。

だんだん信頼関係の様なものが築かれていくんです。

 

ロケ2日目の夕食のときだったか、その12歳の子が僕に、かなり踏み込んだ家庭の話をしだしたんです。

僕は、じっくり話を聞き、思ったことを大人に話すように答えました。

子供には、もっとオブラートに包んで話す方がいいのかもしれない。

でも、そんな立ち入った話をするって、それなりに考えてのことだったはずです。

僕は、やはり大人の女性と話すように会話のキャッチボールを続けました。

 

その最後に、本当にいい笑顔で「そだね!」と彼女は言いました。

 

少し硬かった表情はすっかり和らいで、翌日の撮影では、明らかに彼女との距離感が変わりました。

親密さが増したというか、自分からどんどん話してくれるようになりました。

それまでは、マネージャーの陰に隠れているようなところがあったので、とても大きな変化です。

 

考えてみてください。

自分自身の、たとえば中学時代はどうでしかたか?

僕なんか子ども扱いする大人は、敵に見えてましたよ。

その子は、12歳かもしれない。

でも、仕事で海外に来ているんです。

不安いっぱいあったはずです。でも、いろいろな壁を乗り越えてここにいるはずです。

年齢は問わず、その人の人生を尊重する。

であれば、おのずと、どう扱うのがいいかは、わかるものです。

 

これって、実は人と知り合うとき、誰もが普通にやっている当たり前のことなんですよ。

仕事で一緒になった“縁”なわけです。

だから、この人はどんな人なんだろう?って、ちゃんと興味を持って接する。

そんな中で、少しずつ関係が築かれてゆく。

撮影は、ほんの数日間のことかもしれない。

でも、普通に人と知り合うように丁寧に関係を積み上げる。

 

興味を持って接することから

コミュニケーションの基本って、どんな場合にも変わらない原則のようなものがあるように思います。それが「興味を持って接する」ということです。

これは、年下の男性に対しても同じです。

 

年の離れた女性とお付き合いしているとき、「話し、合うの?」と友人からよく言われます。

ありがちな問いかけですが、年齢が高いとか低いとかを大きな問題だと感じたことはありません。

相手は自分ではないのだから、自分とは違うものを見てきている。

つまり、自分ではない存在への興味。

そこが、そもそも仲良くなるきっかけだったりしませんか?

 

ジェネレーションギャップは、あって当たり前です。

だってジェネレーションは違うのだから。

問題はそこじゃない。

自分じゃない存在への興味が勝っているなら、世代の相違だって興味の対象です。

 

どんな人生を歩いてきたの?

どんな夢を持っているの?

どこに向かっていきたいの?

 

相性も、個々の問題であって、年齢差とは関係ありません。

問題があるとすれば、年上風を吹かせて、つい上から目線で接してしまう年長者側の姿勢かもしれません。

 

とにかく年下の男性は、若造扱いしない。

年下の女性は、小娘扱いしない。

これに尽きると思います。

 

年上は、男性と女性で事情が違う

相手の方が、年上の場合はどうでしょう。

これは、相手が男性か女性かでちょっと事情が違います。

 

僕は男なので、年上の女性は簡単です。

簡単というのは、ちょっと語弊がありますが、ひとまず置いておきます。

まずは、男性の場合からお話します。

 

年上の男性は、けっこう難しい面があります。

 

男同士は、敵対してしまうというか、

対抗意識のような感情がコミュニケーションの邪魔をします。

ちょっとだけデリケートな関係かもしれません。

 

たとえば中学生くらいの女の子同士って、仲良しなら手を繋いでトイレに行ったりしませんか?

わりと気軽にボディータッチをしたりするイメージがあります。

男同士だと、ほぼ、それはない。

男が男の肌に触れるって、殴るときくらいしか思い浮かびません。

極端な話だけど、テリトリーの意識というか、本能的なものが根底にあるような気がします。

 

僕はムービーのカメラマンの仕事もしてきました。

初めてムービー撮影の現場を踏んだのは、25歳のときでした。

大勢のスタッフ。全員が年上です。

仕事によっては、クレーンに乗ることもあります。

特機さんといって、クレーンや移動車などの特殊機材を担当する会社があって、

ベテランのオペレーターになると、「俺は石原裕次郎の映画でクレーンを振ってた」なんて人もいる。

そういう方にも、動きの指示をしなければなりません。

 

照明技師さんも、自分からすれば大先輩という方がばかり。

それと、ムービーの場合は、カメラアシスタントもフリーランスの方を雇います。

1stアシスタントは、露出計測や距離の管理(ピント送りの操作なども)を担当し、

2stアシスタントは、フイルム交換や管理、バッテリー管理などを担当します。

カメラマンからすると、コミュニケーションを密にチームで動く重要なスタッフ。

初現場のときは、アシスタントの方も10歳くらい年上でした。

さぁ~大変。

カメラマンは、ディレクターの直下で、現場の頭を担っていかなければなりません。

いかがですか?

想像しただけで難しそうでしょう。

中途半端な若造の言うことを聞いてくれるでしょうか?

 

さて、僕はどう切り抜けて行ったのか!

 

駆け引きは失敗したら致命的!

取り繕わず、正直に手の内をすべて晒しました。

駆け引きは通用しないなぁ~と思いました。

だって、駆け引きで失敗したら致命的です。

 

「今日、初めての現場でわからないことだらけです。いろいろと質問することもあるかと思います。若輩者ですが、どうぞよろしく!」と、初めにきっちり挨拶です。

 

そして僕の場合、気配り目配りは凄いですよ。

現場の誰よりもマメに動いてやれって思って仕事をしてました。

 

たとえばスタジオのセットの脇などに、飲み物やお菓子が用意されている場所が設けられていたりします。

自分が一息入れるついでに、食べ散らかされたものを片付けたり、整えたり。

タバコを一服ってときには、灰皿やその周辺に飛び散らかった灰を綺麗にしたり、一服しながら掃除をします。

ただそれって、計算してやってるわけじゃないんですよ。

当たり前のことをしていただけなんです。

誰かに何かをやってもらおうじゃなくて、自分が気づいたことをなんでもやるんです。

普通、うえの人がやらないことかもしれませんが、おかまいなしです。

 

現場は、朝、おはようございますで始まって、お疲れさまで終了します。

大きい現場になると、撮影は1日では終わりません。

少なくとも、礼儀が正しくしっかり挨拶をする。そしてマメに動く。

それが出来ていれば2日目からいろいろなことがスムースに進みます。

向こうから挨拶してくれるようになります。

 

あと、これはキャラクターの問題もあるので、誰にでもお勧めの方法ではありませんが、

海辺のロケだったら、「あち~~」とか言って素っ裸になってみるとか、

いきなりオナラして、「わりいわりい、屁こいちゃった」とか、

ちょっとエキセントリックな人を演じるというか、

もうね、変人一歩手前くらいの勢いで、自由奔放に振舞ったりしてました。

本当にいろいろなことを考えて、なんとかコミュニケーションがうまくいくように

それはもう必死でした。

 

自由奔放に自分を解放しつつ、礼儀正しく挨拶はきっちり。

その上で、パフォーマンスを最大限出していく。

たとえなにか迷うことがあっても、それを悟られないように仕事をこなしていくんです。

すべて、自信を持って進めていく。

 

“まぁ、こいつなら仕方ないか”と、

若いのに責任のあるポジションに座るだけのことはあるなと感じてもらえれば、

現場は上手く回ります。

 

改めて言っておきますね。

キャラクターもあるので、変人を装うのは、誰にでもお勧めはできませんが、少なくとも礼儀正しくマメに動くということは、ぜひ実践したらいいと思います。

 

年上の女性には、早く楽をしてもらう

年上の女性の場合、シンプルに言ってしまえば、子ども扱いする。

う~ん、ちょっと語弊がありますね。

「年上の女性は、年下のように扱う」と訂正しておきます。

 

たとえば、なるべく早く下の名前で呼ぶとかやってました。

もちろん呼び捨てじゃありませんよ。さん付けです。

ちゃん付けは、ちょっと違います。

とにかく、なるべくフランクに接するようにということなんです。

なぜかというと、女性ってそもそも気遣いの人だから、

なるべく年長者として振舞わなければ、というような呪縛から解いてあげたいのです。

 

自分自身を振り返っても、実際のところ高校生時代にほぼ人格の基本は固まってるでしょ。

そこから先、たしかに知識や経験は豊富になるけれど、本質はあまり変わらないと思うんです。

変わっていくのは、体が衰えていくだけ。

ただ、大人になると立場だのが邪魔をして、本音を出しづらいようになってしまいます。

だから、なるべく早く素の自分を出してもらえるように、僕の方から先に崩していく。

 

ちょっとフランクに接してくる年下の男性。

どうですか?

もちろん程度にもよりますが、年長者として変に気を使われるよりも、楽だし、本音の話がしやすくなりませんか?

 

僕の本音は、早く油断してもらいたい。

そうじゃないと、その人の本質が見えてこないんですよ。

 

このあたりは、年上の男性も同じだと思います。

 

僕も最近では、現場で最年長ってことが多くなりました。

フランクに接してくれる若い世代の人って、僕は、悪い気はしないですね。

遠慮なくなくグイグイきてくれると、やはりちゃんと答えたくなってしまう。

 

改めてコミュニケーションとは何かを考えてみると、実は年下も、年上も変わらない。

 

基本的な礼儀ができていて、駆け引き一切なしに素の自分のさらけ出して人と接していけば

年齢関係なしに大抵のことはスムースにいくんじゃないでしょうか。

 

自分のことを信じてもらいたければ、まず相手のことを信じる。

その信じるに足る情報が欲しいから相手の話をちゃんと聞くんです。

あ~この人信じられるなぁ~と思えば、自分の心も自然と開いていくものです。

それは相手にも伝わります。

難しく考えずに。基本はとてもシンプルなものなんです。

 

誠実であることはテクニックを超越します。

これは、ぜひ覚えておいてください。

 

f:id:mmps-inc:20200305135039j:plain

 

【こちらはYouTubeの動画をテキスト化したものです。
元動画はこちら→https://youtu.be/cV7YL_W395Y
ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

プロの仕事には再現性が必要。【僕が見た石岡瑛子・後編】

 

トラブル発生!そのとき、僕はどうしたか

石岡瑛子さんと仕事をご一緒させていただいたのは短い期間だったけれど、ありがたいことに石岡さんは僕を信頼してくれていたように思う。

仕事が終わってからも、ご飯に誘っていただくなど、ご縁は続き、たくさん貴重な話を聞かせてもらった。

 

今思えば、石岡さんが僕を気にかけてくれるようになったのは、あれがきっかけだったかもしれない、という出来事がある。

 

前回の通り、僕が石岡さんと知り合ったのは、僕の師匠が石岡さんの出演する番組の記録撮影をすることになったからだった。

 

この撮影は、富山製作所のアートパノラマというカメラを使って行われた。

これは、ブローニー判のフイルムを使用し、6×24という横長の比率で撮れるものだ。

(※動画の中では、6×22と話していて、字幕で6×17と修正したのだけど、なんだか違和感があって再度調べたところ、正確には6×24でした。すみません。)

石岡さんから、モノクロで粒子の荒れた感じにしたいとの依頼を受けていたので、僕は増感現像という方法で現像を行った。

 

増感現像とは、現像時間を通常より延長、また現像液の温度を上げることで、フイルムの実効感度を上げる処理方法のこと。

ざっくり説明すると、光が少ない環境で速いシャッターを切りたいが、そうすると露光が不足してしまうときなどに、それを後から補う方法だ。

ノーマルのフイルム感度に比べて、実効感度を高くすることができるけれど、その代わりにコントラストが上がって階調が損なわれたり、粒子が荒くなるというデメリットがある。

どちらかというと、そのデメリットを利用して粒状感を出したいときに、選ばれる手法でもある。

 

僕は、何度も増感現像を行ったことがあったので、自分の中にデータがあった。

それから考えると上手くいくはずだった。

ところが、いざ増感現像してみると、思ったように荒れてないのだ!

なんかキレイな感じになっちゃってる。

今まではこんなことはなかったのに。

どうして?

 

僕は、暗室作業に詳しい知り合いに聞いたり、メーカーに問い合わせたりしてみた。

すると、“予告のない改良”が原因らしいということがわかってきた。

基本的に、フィルムは、微粒子を目指して作られている。

より細かく、より美しくなるよう、日々研究開発は行われている。

 

つまり、改良が行われたことにより、増感現像への耐性が上がってしまい、今までのやり方では、狙っていた荒れが起きなかったのだ。

そもそも、そのとき使っていたブローニー判というサイズの大きいフィルムは、プリント時の拡大率の点でも、高精細に向いているものだった。

だからカメラも、サイズの小さい35ミリフイルムを使うものの方が、粒状感を出したいという目的には合っていたのかもしれない。

 

とにかく、もう現像は済んでしまった。

さあ、どうする?

 

僕は、石岡さんに全てを話した。

増感現像を行ったが、狙い通りに荒れなかったこと。

メーカーに問い合わせをしたところ、フイルムの改良が行われていたことがわかり、それが主な原因だったこと。

今回のプリントを、再度小さいフィルムで撮影し、粒子が荒くなるように処理をすれば、おそらく希望に沿った写真を作れるであろうということ。

言葉を尽くして説明した。

すると、石岡さんは理解をしてくれただけではなく、「あなた、仕事ちゃんとやるわね~」という言葉をくれたのだ。

つまり、起こってしまったことの原因を調べ、今後の策と共に、きちんと理由を説明するという姿勢を評価してくれたのだった。

 

石岡さんに教えてもらったこと

石岡さんの発する言葉や、仕事に対する姿勢のひとつひとつが、とても貴重な教えだった。

その中でも、僕の物事に対する考え方に、大きく影響を与えたものがある。

 

それは、全ての行動には理由があるということ。

そして、仕事では、理由のない行動はしてはいけないということ。

 

石岡さんが僕を信頼してくれたのは、トラブルが起きたときに、その原因と対応策の理由をしっかりと説明したことが大きかったと思う。

 

石岡さんは、仕事の上で、理由のないことは決してしない人だった。

たとえばコピーの入れ方も、写真の色の配分や構図なども考慮して、文字の大きさや太さなど、バランスを細かく決めていた。

グラフィックデザイナーなら誰もがそうだとは思うけれど、石岡さんはかなり意識的にそれをやっていたように感じた。

全てに理由があり、なんとなくで決めていることは何もなかった。

抜群のセンスの上に、知識と経験が重なり、全ては行われていた。

 

行動には必ず理由がある

当たり前すぎて、あまり考えないことだけど、僕らの体の動きにはすべて理由がある。

足を左右に動かすのは、目的地へ歩くためだし、

腕を動かしコップを持つのは、喉を潤すため。

目覚ましをセットするのは、明日起きたい時間に目覚めるためだし、

焼き肉弁当ではなく、八宝菜弁当を選んだのは、お腹の肉が気になるから。

こんな単純な行動なら、すぐ理由はわかる。

まあ、単純すぎて誰もわざわざ理由を考えないし、考える必要もないんだけど。

 

これが仕事や人間関係など、一気に複雑なものになった場合はどうだろう。

利害も絡むし、感情も動く。

そこには、膨大な選択肢が登場する。

それでもやはり、一つ一つの動作、行動に、なぜそうしたかという理由が絶対にある。

そのことに意識的になると、色々と発見ができる。

 

最初はなんとなくでもいい。

「なんとなく、こっちの方がいい」

「なんとなく、それはやめておいた方がいい」

その感覚は、むしろ大切にした方がいい。

 

重要なのは、次に「なぜ、そう行動したのか」と考えてみること。

どんな目的のためなのか。

どうしてそう思ったのか。

その方法がベストなのか。

分析して、言語化してみること。

 

そして、仕事においては、必ず理由を理解しておくことが必要だ。

これは、絶対。

仕事をする上では、「なんとなく」では、ダメ。

 

プロの仕事には再現性が必要

どうして、仕事の上では「なんとなく」がダメなのか。

それは、プロの仕事には「再現性」が必要だから。

 

プロの仕事では、「なんとなく色々やってみたら、うまくいきました」では、通用しない。

最初はそれでいけても、そのうち必ず行き詰まってしまう。

 

プロならば、「こうしよう」と決めて、その狙い通りのものを作れる知識と技術がなければいけない。

それはつまり、また同じようにしようと思ったらできる「再現性」があるということで、

そのためには「どうしてそうするのか」という理由が、自分でわかっていないといけない。

 

カレーで例えるなら、

適当に色々入れてみたら、なんかすごく美味しくできたけど、もう二度と同じものは作れないというのはダメ。

家ならいいけど、お店だったらダメ。

いつでも同じ味を再現できなきゃいけない。

 

写真だったら、良いシチュエーションで、色んな方法で、やみくもにシャッターさえ押せば、奇跡の一枚は撮れるかもしれない。

けど、プロはそれをあてにしてはいけない。

仕上がりまでを想定し、狙い通りに撮ることが必要。

もし、プロが「奇跡の一枚」と言うことがあるならば、そういう再現性を持った知識と技術の上に、いくつもの幸運が重なり、狙い以上のものが撮れたときのことを指している。

 

一流の料理人が、その日の気温や湿度によって、材料の分量を調節したり、手順に変化を加えていつもの味を出すように、写真でも、光やロケーションによって、撮影方法を考え、狙い通りのものを撮る力が必要になる。

 

写真の場合は、データも重要だ。

写真って、結局は化学反応だから、こうすればこうなるっていうことが、決まっている。

フィルムなら化け学反応で、デジタルなら電気的な物理反応。

だから、こう撮りたいときはこうすればよいというものがハッキリとあるし、それを自在に操れるように、技術を磨いていかなければいけない。

 

仕事には、納期や予算などの制約があるから、

その中で、最大限のパフォーマンスを発揮しなければいけない。

良いものが撮れなかったからやめるなんてことは、もちろん通用しない。

厳しいけれど、それがプロなのだと僕は考えてる。

 

2つの視点を持つ

行動には理由があるという話を、もう少し広げると、

実は、これも当たり前のことなんだけど、行動だけじゃなく、すべてのことに理由というものは存在している。

偶然というのは、本人が理由を認識できていないだけで、起こる全てのことに理由が存在している。

 

もし、あなたが何かの作り手になりたいとか、自分の仕事で社会に影響を与えたいとか考えているのであれば、あらゆる行動や感情の理由に自覚的になった方がいい。

 

なぜ、このゲームは楽しいのか。

なぜ、この人と話しているのやる気が出るのか。

なぜ、この人と一緒にいるとイライラしちゃうのか。

なぜ、この行動がやめられないのか。

なぜ、この小説に感動したのか。

 

ものを作る人間ならば、それらの理由を考えることが必要になる。

その理由がわかれば、それを再現することに一歩近づけるからだ。

 

多くの人がなんとなくで済ましているところに向き合うことになるから、辛い部分も出てくるはずだ。

ストイックな日々になると思う。

でも、何かを創る人間がストイックにものを考えなかったら、どうするの?って感じ。

本気でモノを創りたいなら、これくらいで厳しいとか言ってられない。

自分の心が動く理由を、紐解いて理解してみることは、悪いことではないので、ぜひやってみて欲しい。

 

はじまりは、「なんかよくわからないけど楽しい!」でいい。

その気持ちは、最強。

その後、一歩引いてみて。

2つの視点を持つことが、重要。

「わー!楽しい!」と、満喫する自分と、「なぜ、楽しいのだろう」と、分析する自分。

この視点は、モノを創る人にとって、必ず役立つ。

というか、ビジネスでも何にでも役に立つと思う。

 

旅立っていった石岡瑛子さん

僕は二度、石岡さんに大きな影響を受けた。

一度目は、石岡さんが作った、パルコのポスターで。

二度目は、一緒に仕事をしたときに見た、その姿で。

 

石岡さんの仕事に取り組む姿勢には、凛として美しい筋が一本通っていた。

だからこそ、フランシス・フォード・コッポラや、アーヴィング・ペン、マイルス・デイヴィスなど、こだわりの強い一流アーティストたちを動かす言葉を持っていたのだと思う。

 

石岡さんとは、仕事でご一緒して以来、連絡を絶やさないようにしていた。

でも、僕が独立した頃、石岡さんは外国に拠点を移してしまった。

世界を股にかけて仕事するようになり、僕自身が直接仕事をすることは叶わないままとなってしまった。

 

僕は、日本を離れてからの石岡さんの仕事も、ずっと追っていた。

どんなことを考えながら、作ったのかなとか、

どうやってこのメンバーを仕切っていたのかなとか、

このヴィジュアルの中で、何が一番大事なのかとか、

石岡さんの仕事を見るたびに、そんなことを考えていた。

もし、僕がここに参加させてもらっていたら、という気持ちで見ていた。

 

石岡さんと一度でいいから、自分の仕事を一緒にしたかった。

それが、残念。

 

でも、アシスタントという立場でも、共に仕事をさせていただいたのは、本当に貴重な経験だった。

教わったことは、僕の中に残り続けてる。

 

僕にとって、石岡瑛子さんは、

偉人であり、アイドルであり、恩人なのだ。

この先も、ずっと。

 

f:id:mmps-inc:20200226115122j:plain

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=Wwc63e0Tgpw
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

伝説のアートディレクター。【僕が見た石岡瑛子・前編】

 

石岡瑛子というアートディレクター

また、この話をするけれど、僕がカメラマンを目指すきっかけになったのは、パルコのポスターだった。

このポスターのアートディレクターは、石岡瑛子さんという人物。

70年代から80年代にかけて、パルコのポスターをずっと手掛けてこられたので、ある年齢以上の方は、きっと知っているものがあると思う。

 

石岡さんは、世界的なアートディレクターであり、デザイナーだ。

僕は、ポスターに衝撃を受けてから10年もしないうちに、幸運にも石岡さんと会うことになる。

 

石岡さんとの交流で学んだことは、いまでも僕の中にしっかりと残っている。

 

石岡さんが、その名を世界に知られることになったきっかけは、フランシス・フォード・コッポラジョージ・ルーカスが製作総指揮の、「ミシマ」という三島由紀夫を題材にした映画だった。

この映画の美術監督で、石岡さんは高い評価を受け、その後、コッポラ監督の映画「ドラキュラ」の衣装デザインで、アカデミー賞を受賞する。

 

石岡さんの仕事には、有名なものがたくさんあるが、その中で僕が特に好きなのが、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のジャケットのデザインだ。

撮影は、アーヴィング・ペン。

この二人の奇跡の出会いを作り、素晴らしいジャケットを作り上げた石岡さんは、最優秀アルバム・パッケージで、日本人で初めてグラミー賞を受賞する。

 

これは聞いた話なんだけど、

このジャケットの撮影時、現場でひと悶着あったらしい。

どうやら、マイルス・デイヴィスは、自分の音楽をガンガン流して気分を上げながら撮影をしたいが、アーヴィング・ペンは、静かな環境で集中して撮影をしたいと、二人の希望が正反対になってしまったとのこと。

二人ともなかなか譲らず、撮影は始まらない。

超重鎮同士だから、周りも下手に入ることは出来ない。

そんな中、登場したのが、石岡瑛子さん。

石岡さんは、マイルスに対し、

「あなたは音楽の人。あなたのアルバムのために、ペンが撮影するのだから、ここは彼の意向に従いましょう」と説得。

マイルスが折れて、静かな環境で撮影は行われたらしい。

 

そうやってできあがった、このアルバムジャケットは超かっこいい。

インパクトがすごい。

おもて面は、浮かび上がるようなマイルスの顔のどアップのみ。

タイトルやアーティスト名も載っていない。

そういった情報は、サイドというか背表紙に必要最小限のみ。

うら面は、トランペットを演奏するときの形をした手の、これまたどアップ。

トランペットはなく、手だけ。

シンプルで強い、石岡さんらしいものだった。

 

オーラがすごかった

石岡さんと初めてお会いしたのは、僕が、篠原邦博さんの助手をしていたときのこと。

師匠が、石岡さんと仕事をすることになったのだ。

それは、レニ・リーフェンシュタールが撮影した「NUBA」という写真集にまつわる仕事だった。

 

レニ・リーフェンシュタールは、ドイツ人女性の写真家で、

ヒトラー率いるナチスが政権を握っていた時代に、ベルリンオリンピックの記録映画やナチス党大会の記録映画を撮影していたことから、戦後にナチスの協力者とみなされ非難を受けてしまう。

 

彼女が、再評価を受けるきっかけとなったのが、アフリカのスーダンに住むヌバ族を、1960年代に約10年間かけて撮影した「NUBA」という写真集。

 

日本では、1981年にパルコ出版から発売。

石岡瑛子さんは、この写真集の企画構成を担当。

写真集の発売に合わせて行われた、西武美術館での大規模な展覧会の構成も担当した。

 

この「NUBA」が、NHK日曜美術館という番組で特集されることになり、石岡さんも出演。

そして、僕の師匠が、その番組の記録撮影の担当となったのだ。

収録中の様子だけではなく、大きく引き伸ばされたプリントで構成されたスタジオのセットなども撮影。

僕は、アシスタントとして撮影に同行し、フィルム現像やプリントなどを行い、仕上げの確認などで、石岡さんの事務所を何度も訪ねるなど、かなり深くその仕事に関わらせてもらった。

 

僕が、石岡さんと初めて会ったとき、その存在感に圧倒された。

憧れの人という緊張もあったけれど、オーラと迫力がすごかった。

 

ありがたいことに、石岡さんは僕に良くしてくれて、ご飯に連れて行ってくれたり、色んなことを話してくれた。

僕が初めて石岡さんとお会いしたのは、80年代前半。

女性の社会進出は、今よりもずっと遅れていた。

そんな中、活躍していた石岡さんは、仕事をする中で、軋轢を感じることが、たくさんあったのだと思う。

詳しくはここに書かないけれど、話をしている中で、女性であるがゆえに、気を張り、不必要な戦いを強いられているように感じる部分があった。

 

それでも、僕の目に映る石岡さんは、そんなものは跳ね飛ばして、第一線で素晴らしい仕事をし続けていた。

だからこその、あの存在感と迫力だったのではと思う。

 

f:id:mmps-inc:20200212150217j:plain

 

石岡さんの事務所で印象的だったこと

石岡さんの事務所で印象的だったことが、いくつかある。

まず、お昼ごはん。

キッチンに、サンドウィッチ用の具材がズラーッと並べられ、スタッフは、各自好きものをパンにはさんでいくスタイル。

そしてみんなで一緒に食べる。

具材は、石岡さん自身が用意することも多かったようだ。

 

みんなで食卓を囲むので、自然と会話も生まれ、コミュニケーションが深くなる。

石岡さんとスタッフとの距離感は近く、家族のような親密さがあった。

 

そして、何よりも印象的だったのが、

石岡さんの事務所にあった、校正室だ。

 

広告が出来上がるまでには、いくつもの工程があるけれど、

その中の一つに、色を確認、決定していく「色校正」というものがある。

試し刷りしたものを確認し、「ここの色は抑える」とか「ここはもっと強く」とか、目指すものが出来上がるまで、印刷会社とやり取りをして、細かく調整していく作業だ。

 

石岡さんの事務所には、

その作業するために、色が正しく見える照明が備え付けられた、専用の部屋があった。

それまでも、色んなデザイナーの事務所を見たことがあったけれど、あそこまでちゃんと整えられた校正室がある所は、初めてだった。

 

あの部屋には、石岡さんの仕事に対する姿勢がよく表れていたように思う。

正しく良いものを仕上げるには、何が必要なのか。

そのために出来ることを、一つ一つ丁寧に行っていた。

センスや知識があるだけではない。

環境にまで細かく気が配られていた。

 

あと、猫がいて、事務所内をうろちょろしてました。

短毛で、しっぽが長い猫でした。

それも、印象的だった。

 

アートディレクターの仕事とは

はじめの方で述べたように、石岡さんは、シンプルで強いものを作っていた。

パルコのポスターもその通りで、

シンプルなキャッチコピーと、パルコのロゴだけの、極限まで不要なものを削ぎ落としたデザインだった。

シンプルだからこそ、ごまかすことはできず、力を持った写真と言葉がなければ、成り立たないものだった。

だから、石岡さんにとって、キャスティングこそが、アートディレクターとしての最大の仕事だったのではと想像する。

誰が、撮るのか。

誰が、言葉を操るのか。

 

僕が、最初に惹かれたパルコのポスターは「わが心のスーパースター」だけど、もう一つ強烈に覚えているものがある。

それは、横長のサイズで、パンキッシュな外国人の若者が5~6人、横一列に並んで立ち、右端に縦に大きく赤い文字で「宿愚連若衆艶姿(ヤサグレテアデスガタ)」と、コピーが入っているもの。

シンプルな背景に、人物が映え、漢字のコピーが目に飛び込んでくる。

ものすごくパワーがあって、引き込まれるものだった。

 

このポスターのコピーライターは、小野田隆雄さん。

撮影は、十文字美信さん。

十文字さんは、篠山紀信さんのアシスタント出身で、とても強い写真を撮られる方だ。

それが、このポスターにはとても合っていた。

 

アートディレクターは、日本語に訳すと「美術監督」。

だから、トップに立ち、メンバーを決め、指示を出し、まとめなければいけない。

調教師のようでもあり、指揮者のようでもある。

 

どんなものを作り上げるのかという確固たるコンセプトを掲げ、

誰に依頼すれば、それが実現できるのかを考え、

起用し、調整し、まとめあげる。

それがアートディレクターだ。

 

そして、誰と誰を組み合わせれば、素晴らしい化学反応が起こるのかを考えるのが、最重要項目なのだろう。

 

僕から見て、石岡瑛子さんというアートディレクターは、それを何よりも理解し、実践している方だったと思う。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=OBoGEBnn0w0&t=8s
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

環境は自分で作ることができる。【夢の玄関口 原宿②】

 

  

すべてが原宿につながっていった

原宿はクリエイターの集まる街だから、当然といえば当然なのだけど、「あれ、また原宿?」ということが僕の人生には多い。特に初期の頃。

 

に書いたように、初めて写真でお金をいただいた山本寛斎さんの事務所は、表参道から少し入ったところにあった。

小さな仕事ととはいえ、パリコレのための作業を手伝えたことは誇らしく、撮影した写真を渡しに事務所を訪ねたときは、少しだけ憧れの世界に近づけたようで、胸が高鳴った。

 

そして、独立前に助手をしていた篠原邦博さんの事務所も原宿。

助手をしていた3年間、僕は毎日のように、原宿に通っていた。

休みの日も事務所に行き、暗室でテストプリントをしていた。

早朝から深夜まで、あらゆる原宿の顔を見ていたかもしれない。

定食屋や蕎麦屋など、顔馴染みの店も増えていった。

 

独立して初めての仕事は、とんねるずのレコードジャケットというもしたけれど、そのレコード会社はビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)で、本社は原宿。

とんねるずの仕事は、その後もセカンドアルバムのジャケットや、コンサート関係など、彼らがポニーキャニオンに移籍するまでやっていたので、たびたび原宿に足を運んだ。

そして、ビクターの人との打ち合わせで、僕はあの伝説の喫茶店、レオンに初めて入ることになる。

通りすがりに中を覗くだけだった店。憧れの人たちが通う店。

通い慣れた客のように、涼しい顔をしていたけれど、内心は「とうとう俺もここに!」と、ガッツポーズしてた。

 

そんなレオンの常連客だったという糸井重里さんの事務所は、僕の原宿の憧れの象徴、セントラルアパートにあった。

後々仕事を一緒にさせてもらうことになるのだけど、そのときは、南青山の広い事務所に移られていた。しかし、南青山も原宿から目と鼻の先。

糸井さんと初めて会ったのは、西武百貨店の撮影に入らせてもらった、スタジオマンのとき。

当時から大活躍されていたので嬉しかったけど、自分の仕事相手として会えたときは、感激もひとしおだった。

数年前までは、雲の上の人だったのに、リアルに関われる人に変わってゆく。

胸の中が泡立つような高揚感があった。

 

糸井さんとは、色々お仕事をさせてもらったけれど、糸井さんが手がけたゲームソフト「Mother」関連の広告や、ご自身が浅草に出店されたお茶の店のビデオメニューなどが、特に印象に残っている。

大きな仕事が終わると、打ち上げということで原宿のコープオリンピアにある中華料理店、南国酒家に連れて行ってもらったのも懐かしい。

 

あとは、独立直後、無謀にも写真を持たずに営業に行っていたをしたけれど、村瀬秀明さんもその手法で訪ねた内の一人だった。

村瀬さんは、資生堂の広告にカラー写真が登場した時代、多くの仕事を担ってきたアートディレクターで、新米カメラマンの僕にとっては、とんでもなく雲の上の人だった。

けれど、スタジオマン時代に、資生堂の仕事をいくつも見て、そのクオリティの高さに憧れを抱いていた僕は、躊躇なくアポを取り、事務所を訪ねた。

事務所はオリンピアアネックス。セントラルアパートの斜向いにある建物だ。

その場所を知ったとき、「ああ、また原宿なんだな」と思った。

 

村瀬さんは、写真も持たずに突撃した僕を面白がって迎え入れてくれて、その後、仕事をくださりながら、色んなことを教えてくれた。

村瀬さんは、ちょっと口が悪いんだけど、チャーミングでとても良い人だった。

たとえば、僕がモノクロ写真を納品しに行くと、目の前でチェックして、スポッティング(写真の傷や埃の修正)が下手くそだと、ダメ出しをズバズバしてくる。

でも、その後自ら筆を持ち、その作業をやって見せてくれるのだ。

その仕上がりは素晴らしく、どこが傷だったのかまったくわからない。

そして、ボツプリントを持ってきて、手とリ足とリその技を伝授してくれるのだった。

優しい。

おかげで、僕のスポッティング技術はぐんと上達した。

 

当時、村瀬さんはお住まいも原宿で、僕はそこにも何度か呼んでいただいた。

お酒を飲みながら、村瀬さんはデザインや写真、広告の話を何時間もしてくれた。

とても貴重な話ばかりで、その時間は紛れもなく僕の財産になっている。

 

そんな風に、とにかく原宿にまつわる話が多かった。

色んなことが、原宿を中心に集まっていくような不思議な経験がたくさんあった。

僕は、自分に都合良く物事を考えるのが得意なので、「また、原宿じゃん。すげえ!」って、いちいち盛り上がっていた。

今思ったけど、これ、人生を楽しむ小さなコツかも。

小さくても、「おー!すげぇ!」ってなることが続いていけば、人生は素晴らしくなっていく。

 

原宿に引き寄せられていた、あの時代。

そこで見たもの、出会った人、教わったこと、すべてが自分の中の基準を作り上げていった。

 

f:id:mmps-inc:20200204122854j:plain

 

環境が人をつくる

「こうなりたい」という目標が出来たとき、たとえそれがその時点での自分からはかけ離れていても、妥協せずにそこを目指す努力をした方がいい。

理想は大きく、日々の目標は小さく達成していくのがいい。

僕は、パルコのポスターを見て、「こういうものを撮る人になる」と決めた。

パルコのポスターは超一流の人が作っている。

ただの高校生からは、とてつもなくかけ離れた目標だ。

でも、僕はぶれずにそれを理想の中心にずっと置いてきた。

それを基準に、全てを考えてきた。

その世界へ近づくこと、そこへ身を置くこと。

そうやって環境づくりをしていたことが、後々に生きてきた。

 

僕にとって、原宿に通っていたことが、環境づくりの始まりだった。

当時、その自覚はなかったが、間違いなくそうだ。

環境づくりとは、自分のなりたいもので身の回りを固めていくこと。

学生時代は、ただ街を歩くことしか出来なかった。

でも、その時点での自分でできることをやっていた。

街の空気を感じ、歩く人を見て、自分も将来この街の住人なるんだとイメージしていた。

それが、僕の環境づくりの一番最初の段階だったと思う。

 

環境の影響力は、とても大きい。

その作用は、意志を上回ると考えた方がいい。

自分の環境には、自覚的になった方がいい。

 

流れに身をまかせるのが悪いというわけじゃないけれど、

潮流を見て、自覚的に流れに乗ることと、ただ流されることは、大きく違う。

 

どの場に身を置くか。

どう人と関わるか。

どんな服を身にまとい、どんな言葉を発するか。

そんな小さなことが、自分の環境を作っていく。

 

何となく人生がうまくいかないなあというとき、人はどうしても環境のせいにしたがる。

環境とは自分を取り巻くもの。

家、両親、友人、職場、住む街、自分の周りにあるもの全てだ。

生まれてしばらくは環境を選ぶことはできない。

でも、大人になるにつれ、環境は選ぶことができる。

それに気づけるかどうかが大事だ。

 

今、あなたの毎日が心地良いなら、それでいい。

自然と環境を整えてきたのだと思う。

でも、もし耐えられないような気持ちを抱えているなら、

まず「環境は自分で整えることができる」という自覚を持って欲しい。

自分を心地よい方向に持っていって欲しい。

それがどれだけ大切なことか気付いて欲しい。

 

大人になったら、誰もあなたのために環境を整えてくれたりはしない。

でも、それは自分で選ぶことができるということ。

自分の進みたい方向、心地よいと感じるもので、周りを整えていく。

職場、住む街、一緒にいる人、毎日の習慣、それらが環境を作り、環境が自分を作っていく。

 

途中でちょっとでも違うなと思ったら、修正すればいい。一旦立ち止まればいいし、止めてもいい。それも、自分で選べることだ。

 

一流のものに触れること

少し話が大きくなってしまったけれど、環境が人をつくるのは間違いない。

僕は、原宿からそういうことを教えてもらった。

あの街にいる人から。あの街の空気から。歩く人の姿から。

 

自分が目指す世界の一流に、どんどん触れる機会をつくろう。

直接会ったり触れることが難しくても、目にする機会を増やそう。

何かを習うなら、自分が好きだと思えるものを作っている人に習おう。

写真でいえば、どんな写真を撮っているのか、それは自分の好きな写真なのか、どんな仕事をしてきたのか、どういう人柄なのか、よく調べて納得いく人に習った方がいい。

それも、自分で環境を整えることの一つ。

そういう意味では、写真は好きじゃなくても、世の中でめちゃくちゃ定評のある人に習うとかはありかも知れない。

とにかく、どんな人に習うのがいいのか自覚的になることは大事だ。

これも環境づくりの一つとなる。

 

僕は、よく「人生のキャスティング」という言葉を使う。

人生の登場人物は自分が決める。

そのキャスティングは叶うこともあるし、残念ながら叶わない場合もある。

親兄弟のように、あらかじめ用意されたキャストは、ごく一部だ。

誰と共に時間を過ごすのか。

人生のキャスティングは、環境づくりで一番重要なことだ。

 

原宿から認められたような気分だった

前回のブログで紹介した本、「70s原宿 原風景」に出てくる人たちは、70年代から現在まで活躍されている素晴らしい方ばかりだ。

 

そんな人たちと僕は、立場は違えど、原宿という街で、同じ空気を吸い、同じものを見ていたのかと思うと、なんと光栄なことだと思う。

この本の目次を見て、自分と先輩たちの名前が並んでいるのを見たときは、めちゃくちゃ嬉しかったし、なんだか原宿に認めてもらえたような気持ちになった。

 

セントラルアパートから始まった原宿への思い。

僕にとって、いつまでも夢の玄関口。

今でも通るたびに胸がキュンとする。

当時のワクワクした気持ちや、大変だったこと、そんなことが一瞬にして蘇る。

「ただいま」って言いたくなる街。

それが、僕にとっての原宿です。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=8ygfH9nSpek
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】