LIFE LOG(ホネのひろいば)

プロの仕事には再現性が必要。【僕が見た石岡瑛子・後編】

 

トラブル発生!そのとき、僕はどうしたか

石岡瑛子さんと仕事をご一緒させていただいたのは短い期間だったけれど、ありがたいことに石岡さんは僕を信頼してくれていたように思う。

仕事が終わってからも、ご飯に誘っていただくなど、ご縁は続き、たくさん貴重な話を聞かせてもらった。

 

今思えば、石岡さんが僕を気にかけてくれるようになったのは、あれがきっかけだったかもしれない、という出来事がある。

 

前回の通り、僕が石岡さんと知り合ったのは、僕の師匠が石岡さんの出演する番組の記録撮影をすることになったからだった。

 

この撮影は、富山製作所のアートパノラマというカメラを使って行われた。

これは、ブローニー判のフイルムを使用し、6×24という横長の比率で撮れるものだ。

(※動画の中では、6×22と話していて、字幕で6×17と修正したのだけど、なんだか違和感があって再度調べたところ、正確には6×24でした。すみません。)

石岡さんから、モノクロで粒子の荒れた感じにしたいとの依頼を受けていたので、僕は増感現像という方法で現像を行った。

 

増感現像とは、現像時間を通常より延長、また現像液の温度を上げることで、フイルムの実効感度を上げる処理方法のこと。

ざっくり説明すると、光が少ない環境で速いシャッターを切りたいが、そうすると露光が不足してしまうときなどに、それを後から補う方法だ。

ノーマルのフイルム感度に比べて、実効感度を高くすることができるけれど、その代わりにコントラストが上がって階調が損なわれたり、粒子が荒くなるというデメリットがある。

どちらかというと、そのデメリットを利用して粒状感を出したいときに、選ばれる手法でもある。

 

僕は、何度も増感現像を行ったことがあったので、自分の中にデータがあった。

それから考えると上手くいくはずだった。

ところが、いざ増感現像してみると、思ったように荒れてないのだ!

なんかキレイな感じになっちゃってる。

今まではこんなことはなかったのに。

どうして?

 

僕は、暗室作業に詳しい知り合いに聞いたり、メーカーに問い合わせたりしてみた。

すると、“予告のない改良”が原因らしいということがわかってきた。

基本的に、フィルムは、微粒子を目指して作られている。

より細かく、より美しくなるよう、日々研究開発は行われている。

 

つまり、改良が行われたことにより、増感現像への耐性が上がってしまい、今までのやり方では、狙っていた荒れが起きなかったのだ。

そもそも、そのとき使っていたブローニー判というサイズの大きいフィルムは、プリント時の拡大率の点でも、高精細に向いているものだった。

だからカメラも、サイズの小さい35ミリフイルムを使うものの方が、粒状感を出したいという目的には合っていたのかもしれない。

 

とにかく、もう現像は済んでしまった。

さあ、どうする?

 

僕は、石岡さんに全てを話した。

増感現像を行ったが、狙い通りに荒れなかったこと。

メーカーに問い合わせをしたところ、フイルムの改良が行われていたことがわかり、それが主な原因だったこと。

今回のプリントを、再度小さいフィルムで撮影し、粒子が荒くなるように処理をすれば、おそらく希望に沿った写真を作れるであろうということ。

言葉を尽くして説明した。

すると、石岡さんは理解をしてくれただけではなく、「あなた、仕事ちゃんとやるわね~」という言葉をくれたのだ。

つまり、起こってしまったことの原因を調べ、今後の策と共に、きちんと理由を説明するという姿勢を評価してくれたのだった。

 

石岡さんに教えてもらったこと

石岡さんの発する言葉や、仕事に対する姿勢のひとつひとつが、とても貴重な教えだった。

その中でも、僕の物事に対する考え方に、大きく影響を与えたものがある。

 

それは、全ての行動には理由があるということ。

そして、仕事では、理由のない行動はしてはいけないということ。

 

石岡さんが僕を信頼してくれたのは、トラブルが起きたときに、その原因と対応策の理由をしっかりと説明したことが大きかったと思う。

 

石岡さんは、仕事の上で、理由のないことは決してしない人だった。

たとえばコピーの入れ方も、写真の色の配分や構図なども考慮して、文字の大きさや太さなど、バランスを細かく決めていた。

グラフィックデザイナーなら誰もがそうだとは思うけれど、石岡さんはかなり意識的にそれをやっていたように感じた。

全てに理由があり、なんとなくで決めていることは何もなかった。

抜群のセンスの上に、知識と経験が重なり、全ては行われていた。

 

行動には必ず理由がある

当たり前すぎて、あまり考えないことだけど、僕らの体の動きにはすべて理由がある。

足を左右に動かすのは、目的地へ歩くためだし、

腕を動かしコップを持つのは、喉を潤すため。

目覚ましをセットするのは、明日起きたい時間に目覚めるためだし、

焼き肉弁当ではなく、八宝菜弁当を選んだのは、お腹の肉が気になるから。

こんな単純な行動なら、すぐ理由はわかる。

まあ、単純すぎて誰もわざわざ理由を考えないし、考える必要もないんだけど。

 

これが仕事や人間関係など、一気に複雑なものになった場合はどうだろう。

利害も絡むし、感情も動く。

そこには、膨大な選択肢が登場する。

それでもやはり、一つ一つの動作、行動に、なぜそうしたかという理由が絶対にある。

そのことに意識的になると、色々と発見ができる。

 

最初はなんとなくでもいい。

「なんとなく、こっちの方がいい」

「なんとなく、それはやめておいた方がいい」

その感覚は、むしろ大切にした方がいい。

 

重要なのは、次に「なぜ、そう行動したのか」と考えてみること。

どんな目的のためなのか。

どうしてそう思ったのか。

その方法がベストなのか。

分析して、言語化してみること。

 

そして、仕事においては、必ず理由を理解しておくことが必要だ。

これは、絶対。

仕事をする上では、「なんとなく」では、ダメ。

 

プロの仕事には再現性が必要

どうして、仕事の上では「なんとなく」がダメなのか。

それは、プロの仕事には「再現性」が必要だから。

 

プロの仕事では、「なんとなく色々やってみたら、うまくいきました」では、通用しない。

最初はそれでいけても、そのうち必ず行き詰まってしまう。

 

プロならば、「こうしよう」と決めて、その狙い通りのものを作れる知識と技術がなければいけない。

それはつまり、また同じようにしようと思ったらできる「再現性」があるということで、

そのためには「どうしてそうするのか」という理由が、自分でわかっていないといけない。

 

カレーで例えるなら、

適当に色々入れてみたら、なんかすごく美味しくできたけど、もう二度と同じものは作れないというのはダメ。

家ならいいけど、お店だったらダメ。

いつでも同じ味を再現できなきゃいけない。

 

写真だったら、良いシチュエーションで、色んな方法で、やみくもにシャッターさえ押せば、奇跡の一枚は撮れるかもしれない。

けど、プロはそれをあてにしてはいけない。

仕上がりまでを想定し、狙い通りに撮ることが必要。

もし、プロが「奇跡の一枚」と言うことがあるならば、そういう再現性を持った知識と技術の上に、いくつもの幸運が重なり、狙い以上のものが撮れたときのことを指している。

 

一流の料理人が、その日の気温や湿度によって、材料の分量を調節したり、手順に変化を加えていつもの味を出すように、写真でも、光やロケーションによって、撮影方法を考え、狙い通りのものを撮る力が必要になる。

 

写真の場合は、データも重要だ。

写真って、結局は化学反応だから、こうすればこうなるっていうことが、決まっている。

フィルムなら化け学反応で、デジタルなら電気的な物理反応。

だから、こう撮りたいときはこうすればよいというものがハッキリとあるし、それを自在に操れるように、技術を磨いていかなければいけない。

 

仕事には、納期や予算などの制約があるから、

その中で、最大限のパフォーマンスを発揮しなければいけない。

良いものが撮れなかったからやめるなんてことは、もちろん通用しない。

厳しいけれど、それがプロなのだと僕は考えてる。

 

2つの視点を持つ

行動には理由があるという話を、もう少し広げると、

実は、これも当たり前のことなんだけど、行動だけじゃなく、すべてのことに理由というものは存在している。

偶然というのは、本人が理由を認識できていないだけで、起こる全てのことに理由が存在している。

 

もし、あなたが何かの作り手になりたいとか、自分の仕事で社会に影響を与えたいとか考えているのであれば、あらゆる行動や感情の理由に自覚的になった方がいい。

 

なぜ、このゲームは楽しいのか。

なぜ、この人と話しているのやる気が出るのか。

なぜ、この人と一緒にいるとイライラしちゃうのか。

なぜ、この行動がやめられないのか。

なぜ、この小説に感動したのか。

 

ものを作る人間ならば、それらの理由を考えることが必要になる。

その理由がわかれば、それを再現することに一歩近づけるからだ。

 

多くの人がなんとなくで済ましているところに向き合うことになるから、辛い部分も出てくるはずだ。

ストイックな日々になると思う。

でも、何かを創る人間がストイックにものを考えなかったら、どうするの?って感じ。

本気でモノを創りたいなら、これくらいで厳しいとか言ってられない。

自分の心が動く理由を、紐解いて理解してみることは、悪いことではないので、ぜひやってみて欲しい。

 

はじまりは、「なんかよくわからないけど楽しい!」でいい。

その気持ちは、最強。

その後、一歩引いてみて。

2つの視点を持つことが、重要。

「わー!楽しい!」と、満喫する自分と、「なぜ、楽しいのだろう」と、分析する自分。

この視点は、モノを創る人にとって、必ず役立つ。

というか、ビジネスでも何にでも役に立つと思う。

 

旅立っていった石岡瑛子さん

僕は二度、石岡さんに大きな影響を受けた。

一度目は、石岡さんが作った、パルコのポスターで。

二度目は、一緒に仕事をしたときに見た、その姿で。

 

石岡さんの仕事に取り組む姿勢には、凛として美しい筋が一本通っていた。

だからこそ、フランシス・フォード・コッポラや、アーヴィング・ペン、マイルス・デイヴィスなど、こだわりの強い一流アーティストたちを動かす言葉を持っていたのだと思う。

 

石岡さんとは、仕事でご一緒して以来、連絡を絶やさないようにしていた。

でも、僕が独立した頃、石岡さんは外国に拠点を移してしまった。

世界を股にかけて仕事するようになり、僕自身が直接仕事をすることは叶わないままとなってしまった。

 

僕は、日本を離れてからの石岡さんの仕事も、ずっと追っていた。

どんなことを考えながら、作ったのかなとか、

どうやってこのメンバーを仕切っていたのかなとか、

このヴィジュアルの中で、何が一番大事なのかとか、

石岡さんの仕事を見るたびに、そんなことを考えていた。

もし、僕がここに参加させてもらっていたら、という気持ちで見ていた。

 

石岡さんと一度でいいから、自分の仕事を一緒にしたかった。

それが、残念。

 

でも、アシスタントという立場でも、共に仕事をさせていただいたのは、本当に貴重な経験だった。

教わったことは、僕の中に残り続けてる。

 

僕にとって、石岡瑛子さんは、

偉人であり、アイドルであり、恩人なのだ。

この先も、ずっと。

 

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【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=Wwc63e0Tgpw
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

伝説のアートディレクター。【僕が見た石岡瑛子・前編】

 

石岡瑛子というアートディレクター

また、この話をするけれど、僕がカメラマンを目指すきっかけになったのは、パルコのポスターだった。

このポスターのアートディレクターは、石岡瑛子さんという人物。

70年代から80年代にかけて、パルコのポスターをずっと手掛けてこられたので、ある年齢以上の方は、きっと知っているものがあると思う。

 

石岡さんは、世界的なアートディレクターであり、デザイナーだ。

僕は、ポスターに衝撃を受けてから10年もしないうちに、幸運にも石岡さんと会うことになる。

 

石岡さんとの交流で学んだことは、いまでも僕の中にしっかりと残っている。

 

石岡さんが、その名を世界に知られることになったきっかけは、フランシス・フォード・コッポラジョージ・ルーカスが製作総指揮の、「ミシマ」という三島由紀夫を題材にした映画だった。

この映画の美術監督で、石岡さんは高い評価を受け、その後、コッポラ監督の映画「ドラキュラ」の衣装デザインで、アカデミー賞を受賞する。

 

石岡さんの仕事には、有名なものがたくさんあるが、その中で僕が特に好きなのが、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のジャケットのデザインだ。

撮影は、アーヴィング・ペン。

この二人の奇跡の出会いを作り、素晴らしいジャケットを作り上げた石岡さんは、最優秀アルバム・パッケージで、日本人で初めてグラミー賞を受賞する。

 

これは聞いた話なんだけど、

このジャケットの撮影時、現場でひと悶着あったらしい。

どうやら、マイルス・デイヴィスは、自分の音楽をガンガン流して気分を上げながら撮影をしたいが、アーヴィング・ペンは、静かな環境で集中して撮影をしたいと、二人の希望が正反対になってしまったとのこと。

二人ともなかなか譲らず、撮影は始まらない。

超重鎮同士だから、周りも下手に入ることは出来ない。

そんな中、登場したのが、石岡瑛子さん。

石岡さんは、マイルスに対し、

「あなたは音楽の人。あなたのアルバムのために、ペンが撮影するのだから、ここは彼の意向に従いましょう」と説得。

マイルスが折れて、静かな環境で撮影は行われたらしい。

 

そうやってできあがった、このアルバムジャケットは超かっこいい。

インパクトがすごい。

おもて面は、浮かび上がるようなマイルスの顔のどアップのみ。

タイトルやアーティスト名も載っていない。

そういった情報は、サイドというか背表紙に必要最小限のみ。

うら面は、トランペットを演奏するときの形をした手の、これまたどアップ。

トランペットはなく、手だけ。

シンプルで強い、石岡さんらしいものだった。

 

オーラがすごかった

石岡さんと初めてお会いしたのは、僕が、篠原邦博さんの助手をしていたときのこと。

師匠が、石岡さんと仕事をすることになったのだ。

それは、レニ・リーフェンシュタールが撮影した「NUBA」という写真集にまつわる仕事だった。

 

レニ・リーフェンシュタールは、ドイツ人女性の写真家で、

ヒトラー率いるナチスが政権を握っていた時代に、ベルリンオリンピックの記録映画やナチス党大会の記録映画を撮影していたことから、戦後にナチスの協力者とみなされ非難を受けてしまう。

 

彼女が、再評価を受けるきっかけとなったのが、アフリカのスーダンに住むヌバ族を、1960年代に約10年間かけて撮影した「NUBA」という写真集。

 

日本では、1981年にパルコ出版から発売。

石岡瑛子さんは、この写真集の企画構成を担当。

写真集の発売に合わせて行われた、西武美術館での大規模な展覧会の構成も担当した。

 

この「NUBA」が、NHK日曜美術館という番組で特集されることになり、石岡さんも出演。

そして、僕の師匠が、その番組の記録撮影の担当となったのだ。

収録中の様子だけではなく、大きく引き伸ばされたプリントで構成されたスタジオのセットなども撮影。

僕は、アシスタントとして撮影に同行し、フィルム現像やプリントなどを行い、仕上げの確認などで、石岡さんの事務所を何度も訪ねるなど、かなり深くその仕事に関わらせてもらった。

 

僕が、石岡さんと初めて会ったとき、その存在感に圧倒された。

憧れの人という緊張もあったけれど、オーラと迫力がすごかった。

 

ありがたいことに、石岡さんは僕に良くしてくれて、ご飯に連れて行ってくれたり、色んなことを話してくれた。

僕が初めて石岡さんとお会いしたのは、80年代前半。

女性の社会進出は、今よりもずっと遅れていた。

そんな中、活躍していた石岡さんは、仕事をする中で、軋轢を感じることが、たくさんあったのだと思う。

詳しくはここに書かないけれど、話をしている中で、女性であるがゆえに、気を張り、不必要な戦いを強いられているように感じる部分があった。

 

それでも、僕の目に映る石岡さんは、そんなものは跳ね飛ばして、第一線で素晴らしい仕事をし続けていた。

だからこその、あの存在感と迫力だったのではと思う。

 

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石岡さんの事務所で印象的だったこと

石岡さんの事務所で印象的だったことが、いくつかある。

まず、お昼ごはん。

キッチンに、サンドウィッチ用の具材がズラーッと並べられ、スタッフは、各自好きものをパンにはさんでいくスタイル。

そしてみんなで一緒に食べる。

具材は、石岡さん自身が用意することも多かったようだ。

 

みんなで食卓を囲むので、自然と会話も生まれ、コミュニケーションが深くなる。

石岡さんとスタッフとの距離感は近く、家族のような親密さがあった。

 

そして、何よりも印象的だったのが、

石岡さんの事務所にあった、校正室だ。

 

広告が出来上がるまでには、いくつもの工程があるけれど、

その中の一つに、色を確認、決定していく「色校正」というものがある。

試し刷りしたものを確認し、「ここの色は抑える」とか「ここはもっと強く」とか、目指すものが出来上がるまで、印刷会社とやり取りをして、細かく調整していく作業だ。

 

石岡さんの事務所には、

その作業するために、色が正しく見える照明が備え付けられた、専用の部屋があった。

それまでも、色んなデザイナーの事務所を見たことがあったけれど、あそこまでちゃんと整えられた校正室がある所は、初めてだった。

 

あの部屋には、石岡さんの仕事に対する姿勢がよく表れていたように思う。

正しく良いものを仕上げるには、何が必要なのか。

そのために出来ることを、一つ一つ丁寧に行っていた。

センスや知識があるだけではない。

環境にまで細かく気が配られていた。

 

あと、猫がいて、事務所内をうろちょろしてました。

短毛で、しっぽが長い猫でした。

それも、印象的だった。

 

アートディレクターの仕事とは

はじめの方で述べたように、石岡さんは、シンプルで強いものを作っていた。

パルコのポスターもその通りで、

シンプルなキャッチコピーと、パルコのロゴだけの、極限まで不要なものを削ぎ落としたデザインだった。

シンプルだからこそ、ごまかすことはできず、力を持った写真と言葉がなければ、成り立たないものだった。

だから、石岡さんにとって、キャスティングこそが、アートディレクターとしての最大の仕事だったのではと想像する。

誰が、撮るのか。

誰が、言葉を操るのか。

 

僕が、最初に惹かれたパルコのポスターは「わが心のスーパースター」だけど、もう一つ強烈に覚えているものがある。

それは、横長のサイズで、パンキッシュな外国人の若者が5~6人、横一列に並んで立ち、右端に縦に大きく赤い文字で「宿愚連若衆艶姿(ヤサグレテアデスガタ)」と、コピーが入っているもの。

シンプルな背景に、人物が映え、漢字のコピーが目に飛び込んでくる。

ものすごくパワーがあって、引き込まれるものだった。

 

このポスターのコピーライターは、小野田隆雄さん。

撮影は、十文字美信さん。

十文字さんは、篠山紀信さんのアシスタント出身で、とても強い写真を撮られる方だ。

それが、このポスターにはとても合っていた。

 

アートディレクターは、日本語に訳すと「美術監督」。

だから、トップに立ち、メンバーを決め、指示を出し、まとめなければいけない。

調教師のようでもあり、指揮者のようでもある。

 

どんなものを作り上げるのかという確固たるコンセプトを掲げ、

誰に依頼すれば、それが実現できるのかを考え、

起用し、調整し、まとめあげる。

それがアートディレクターだ。

 

そして、誰と誰を組み合わせれば、素晴らしい化学反応が起こるのかを考えるのが、最重要項目なのだろう。

 

僕から見て、石岡瑛子さんというアートディレクターは、それを何よりも理解し、実践している方だったと思う。

 

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環境は自分で作ることができる。【夢の玄関口 原宿②】

 

  

すべてが原宿につながっていった

原宿はクリエイターの集まる街だから、当然といえば当然なのだけど、「あれ、また原宿?」ということが僕の人生には多い。特に初期の頃。

 

に書いたように、初めて写真でお金をいただいた山本寛斎さんの事務所は、表参道から少し入ったところにあった。

小さな仕事ととはいえ、パリコレのための作業を手伝えたことは誇らしく、撮影した写真を渡しに事務所を訪ねたときは、少しだけ憧れの世界に近づけたようで、胸が高鳴った。

 

そして、独立前に助手をしていた篠原邦博さんの事務所も原宿。

助手をしていた3年間、僕は毎日のように、原宿に通っていた。

休みの日も事務所に行き、暗室でテストプリントをしていた。

早朝から深夜まで、あらゆる原宿の顔を見ていたかもしれない。

定食屋や蕎麦屋など、顔馴染みの店も増えていった。

 

独立して初めての仕事は、とんねるずのレコードジャケットというもしたけれど、そのレコード会社はビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)で、本社は原宿。

とんねるずの仕事は、その後もセカンドアルバムのジャケットや、コンサート関係など、彼らがポニーキャニオンに移籍するまでやっていたので、たびたび原宿に足を運んだ。

そして、ビクターの人との打ち合わせで、僕はあの伝説の喫茶店、レオンに初めて入ることになる。

通りすがりに中を覗くだけだった店。憧れの人たちが通う店。

通い慣れた客のように、涼しい顔をしていたけれど、内心は「とうとう俺もここに!」と、ガッツポーズしてた。

 

そんなレオンの常連客だったという糸井重里さんの事務所は、僕の原宿の憧れの象徴、セントラルアパートにあった。

後々仕事を一緒にさせてもらうことになるのだけど、そのときは、南青山の広い事務所に移られていた。しかし、南青山も原宿から目と鼻の先。

糸井さんと初めて会ったのは、西武百貨店の撮影に入らせてもらった、スタジオマンのとき。

当時から大活躍されていたので嬉しかったけど、自分の仕事相手として会えたときは、感激もひとしおだった。

数年前までは、雲の上の人だったのに、リアルに関われる人に変わってゆく。

胸の中が泡立つような高揚感があった。

 

糸井さんとは、色々お仕事をさせてもらったけれど、糸井さんが手がけたゲームソフト「Mother」関連の広告や、ご自身が浅草に出店されたお茶の店のビデオメニューなどが、特に印象に残っている。

大きな仕事が終わると、打ち上げということで原宿のコープオリンピアにある中華料理店、南国酒家に連れて行ってもらったのも懐かしい。

 

あとは、独立直後、無謀にも写真を持たずに営業に行っていたをしたけれど、村瀬秀明さんもその手法で訪ねた内の一人だった。

村瀬さんは、資生堂の広告にカラー写真が登場した時代、多くの仕事を担ってきたアートディレクターで、新米カメラマンの僕にとっては、とんでもなく雲の上の人だった。

けれど、スタジオマン時代に、資生堂の仕事をいくつも見て、そのクオリティの高さに憧れを抱いていた僕は、躊躇なくアポを取り、事務所を訪ねた。

事務所はオリンピアアネックス。セントラルアパートの斜向いにある建物だ。

その場所を知ったとき、「ああ、また原宿なんだな」と思った。

 

村瀬さんは、写真も持たずに突撃した僕を面白がって迎え入れてくれて、その後、仕事をくださりながら、色んなことを教えてくれた。

村瀬さんは、ちょっと口が悪いんだけど、チャーミングでとても良い人だった。

たとえば、僕がモノクロ写真を納品しに行くと、目の前でチェックして、スポッティング(写真の傷や埃の修正)が下手くそだと、ダメ出しをズバズバしてくる。

でも、その後自ら筆を持ち、その作業をやって見せてくれるのだ。

その仕上がりは素晴らしく、どこが傷だったのかまったくわからない。

そして、ボツプリントを持ってきて、手とリ足とリその技を伝授してくれるのだった。

優しい。

おかげで、僕のスポッティング技術はぐんと上達した。

 

当時、村瀬さんはお住まいも原宿で、僕はそこにも何度か呼んでいただいた。

お酒を飲みながら、村瀬さんはデザインや写真、広告の話を何時間もしてくれた。

とても貴重な話ばかりで、その時間は紛れもなく僕の財産になっている。

 

そんな風に、とにかく原宿にまつわる話が多かった。

色んなことが、原宿を中心に集まっていくような不思議な経験がたくさんあった。

僕は、自分に都合良く物事を考えるのが得意なので、「また、原宿じゃん。すげえ!」って、いちいち盛り上がっていた。

今思ったけど、これ、人生を楽しむ小さなコツかも。

小さくても、「おー!すげぇ!」ってなることが続いていけば、人生は素晴らしくなっていく。

 

原宿に引き寄せられていた、あの時代。

そこで見たもの、出会った人、教わったこと、すべてが自分の中の基準を作り上げていった。

 

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環境が人をつくる

「こうなりたい」という目標が出来たとき、たとえそれがその時点での自分からはかけ離れていても、妥協せずにそこを目指す努力をした方がいい。

理想は大きく、日々の目標は小さく達成していくのがいい。

僕は、パルコのポスターを見て、「こういうものを撮る人になる」と決めた。

パルコのポスターは超一流の人が作っている。

ただの高校生からは、とてつもなくかけ離れた目標だ。

でも、僕はぶれずにそれを理想の中心にずっと置いてきた。

それを基準に、全てを考えてきた。

その世界へ近づくこと、そこへ身を置くこと。

そうやって環境づくりをしていたことが、後々に生きてきた。

 

僕にとって、原宿に通っていたことが、環境づくりの始まりだった。

当時、その自覚はなかったが、間違いなくそうだ。

環境づくりとは、自分のなりたいもので身の回りを固めていくこと。

学生時代は、ただ街を歩くことしか出来なかった。

でも、その時点での自分でできることをやっていた。

街の空気を感じ、歩く人を見て、自分も将来この街の住人なるんだとイメージしていた。

それが、僕の環境づくりの一番最初の段階だったと思う。

 

環境の影響力は、とても大きい。

その作用は、意志を上回ると考えた方がいい。

自分の環境には、自覚的になった方がいい。

 

流れに身をまかせるのが悪いというわけじゃないけれど、

潮流を見て、自覚的に流れに乗ることと、ただ流されることは、大きく違う。

 

どの場に身を置くか。

どう人と関わるか。

どんな服を身にまとい、どんな言葉を発するか。

そんな小さなことが、自分の環境を作っていく。

 

何となく人生がうまくいかないなあというとき、人はどうしても環境のせいにしたがる。

環境とは自分を取り巻くもの。

家、両親、友人、職場、住む街、自分の周りにあるもの全てだ。

生まれてしばらくは環境を選ぶことはできない。

でも、大人になるにつれ、環境は選ぶことができる。

それに気づけるかどうかが大事だ。

 

今、あなたの毎日が心地良いなら、それでいい。

自然と環境を整えてきたのだと思う。

でも、もし耐えられないような気持ちを抱えているなら、

まず「環境は自分で整えることができる」という自覚を持って欲しい。

自分を心地よい方向に持っていって欲しい。

それがどれだけ大切なことか気付いて欲しい。

 

大人になったら、誰もあなたのために環境を整えてくれたりはしない。

でも、それは自分で選ぶことができるということ。

自分の進みたい方向、心地よいと感じるもので、周りを整えていく。

職場、住む街、一緒にいる人、毎日の習慣、それらが環境を作り、環境が自分を作っていく。

 

途中でちょっとでも違うなと思ったら、修正すればいい。一旦立ち止まればいいし、止めてもいい。それも、自分で選べることだ。

 

一流のものに触れること

少し話が大きくなってしまったけれど、環境が人をつくるのは間違いない。

僕は、原宿からそういうことを教えてもらった。

あの街にいる人から。あの街の空気から。歩く人の姿から。

 

自分が目指す世界の一流に、どんどん触れる機会をつくろう。

直接会ったり触れることが難しくても、目にする機会を増やそう。

何かを習うなら、自分が好きだと思えるものを作っている人に習おう。

写真でいえば、どんな写真を撮っているのか、それは自分の好きな写真なのか、どんな仕事をしてきたのか、どういう人柄なのか、よく調べて納得いく人に習った方がいい。

それも、自分で環境を整えることの一つ。

そういう意味では、写真は好きじゃなくても、世の中でめちゃくちゃ定評のある人に習うとかはありかも知れない。

とにかく、どんな人に習うのがいいのか自覚的になることは大事だ。

これも環境づくりの一つとなる。

 

僕は、よく「人生のキャスティング」という言葉を使う。

人生の登場人物は自分が決める。

そのキャスティングは叶うこともあるし、残念ながら叶わない場合もある。

親兄弟のように、あらかじめ用意されたキャストは、ごく一部だ。

誰と共に時間を過ごすのか。

人生のキャスティングは、環境づくりで一番重要なことだ。

 

原宿から認められたような気分だった

前回のブログで紹介した本、「70s原宿 原風景」に出てくる人たちは、70年代から現在まで活躍されている素晴らしい方ばかりだ。

 

そんな人たちと僕は、立場は違えど、原宿という街で、同じ空気を吸い、同じものを見ていたのかと思うと、なんと光栄なことだと思う。

この本の目次を見て、自分と先輩たちの名前が並んでいるのを見たときは、めちゃくちゃ嬉しかったし、なんだか原宿に認めてもらえたような気持ちになった。

 

セントラルアパートから始まった原宿への思い。

僕にとって、いつまでも夢の玄関口。

今でも通るたびに胸がキュンとする。

当時のワクワクした気持ちや、大変だったこと、そんなことが一瞬にして蘇る。

「ただいま」って言いたくなる街。

それが、僕にとっての原宿です。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=8ygfH9nSpek
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

憧れには近づいて、真似てみるのが近道。【夢の玄関口 原宿①】

 

 

 

原宿は夢の玄関口だった

原宿という街について、どうしても話しておきたい。

僕にとって、原宿という街は、とても重要な場所だ。

 

高校生のときにカメラマンを目指すようになった僕は、雑誌「コマーシャル・フォト」を熟読し、そこに載っている憧れの人たちの名前をリストアップしていた。

その中でセントラルアパートを知り、原宿に通うようになる。

 

ここで、まずスタイリストの中村のんさん編著の本を2冊紹介したい。

1冊目は「70s原宿 原風景 エッセイ集 思い出のあの店、あの場所」

原宿に縁深い45人が、70年代の原宿について書いていて、

僕も嬉しいことに、セントラルアパートの中庭のカフェについて寄稿している。

 

もう1冊は「70’HARAJUKU」

こちらは、70年代前後の原宿を中心とした写真集。

今では大御所となっているカメラマンたちが、撮影した写真が集められている。

写っている人物も、街行く一般の人から、有名人の若い頃、当時から大活躍していた人たちまで、たくさん載っている。

 

どちらも、僕より少し上の世代の人たちが中心に載っている。

僕が原宿に出会った頃、憧れていた世界の人たちだ。

 

70年代の原宿は、最先端の街だった。

才能溢れる人たちが集まり、一つの文化を作りあげていた。

今でも伝説のように語り継がれている人や店も少なくない。

 

そんな原宿と、僕の話を残しておきたい。

どうしても長くなっちゃうので、数回になります。

どうかお付き合いください。

 

ペニーレインを目指した中学3年生

実は、高校生で原宿に通うようになるより少し前、中学3年生のときにも、原宿を訪れたことがある。

まだカメラマンを目指す前で、きっかけは吉田拓郎さんの「ペニーレインでバーボン」という曲だった。

ペニーレインとは原宿にあるバーの名前で、僕はその曲がとても好きで、実在する店と知り、行ってみたくなったのだ。

 

初めて足を踏み入れた原宿は、今とはかなり風景が違っていた。

ラフォーレ原宿はまだ存在せず、そこには教会が建っており、同潤会アパートにはまだ人が住んでいた。

 

目的のペニーレインは、キディランド近くの、カフェ・ド・ロペという、当時では珍しいオープンカフェの横の路地を入ったところに建っていて、隣には、系列のライムライトという店があった。

後に知るのだが、この二店舗はフォーライフレコードの社長、後藤由多加さんが経営していた。

 ※フォーライフレコード:井上陽水泉谷しげる小室等吉田拓郎、後藤由多加らが設立した会社

 

さて、めでたく店の前まではたどり着いたが、そこはバー。

中学3年生の僕には敷居が高く、中には入ることが出来ず、外から眺めるだけだった。

結局、ペニーレインを諦めた僕は、表参道の今はなきシェーキーズでたらふくピザを食べ、「コーラとピザってこんなに合うんだ!最高!」と、大変中学生らしい感想を持ち、家路に就いたのだった。

 

原宿は何をしているかで見え方が変わる街

表参道は、1977年から1997年までの間、休日には歩行者天国となっていた。

歩行者天国が始まった理由は、当時の表参道は、週末になると暴走族が曲乗りしながら行ったり来たりして、それを見にくる人たちも集まって、とんでもないことになっており、彼らを締め出すためだったらしい。

これは、最近知り合った都市計画に携わる人から聞いた。

 

えー、実は、その曲乗りのバイクの中には、僕もいました。すみません。

原宿を憧れの街として足繁く通う前には、そんなこともしていました。

当時は、そうやってただバイクで往復して立ち去る街だった。

でも、セントラルアパートを知ったときからは、夢の入り口の街となる。

 

街にはそれぞれの顔があるけれど、訪れる人によっても見えるものは全然違う。

それは当然のことだけど、原宿は特にそれが顕著な街だった。

そこで何をして過ごしているかによって、見え方が全然変わる街というのが、原宿に対する僕の印象だ。

 

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原宿にいるだけで楽しかった高校時代

憧れの世界を近くで感じるため、原宿に通うようになった僕だったが、そこはお金もない高校生、基本はブラブラ歩くだけ。

時々クレープを食べたりしながら、ひたすら色んなお店を見て、歩き回っていた。

それだけでも十分刺激的だった。

 

竹下通りには、個性的な服屋が並び、オシャレなのか何なのかよくわからないような奇抜な格好をしている人たちがいた。

今までの自分の生活圏では見たことがないような人がたくさんいて、それを眺めるのが楽しかった。

 

原宿と言えば、やはりファッションだけど、70年代の原宿では、様々なブランドが生まれた。

大手ではなく、少人数がマンションの一室をアトリエとして生み出したものも多く、それらは「マンションメーカー」と呼ばれた。

お金がなくて、買うことは出来なかったけれど、置いてある服を見ているだけでも、楽しかった。

よく覚えているのは「ラストシーン」。

お店は、セントラルアパートの少し先にあり、間口が狭くて、奥に細長い作りだった。

何度か小物なんかをプレゼントに買ったことがある。

最初は小さいお店だったが、次第に人気が出て、竹下通りに移転して広い店を構えていた。

 

よくご飯を食べていたのは、「ラ ベルテ」というイタリアンレストラン。

竹下通りを抜けたところの交差点を渡り、路地を左に入ったところにある小さな店で、店内には小さなフライパンがたくさんぶら下がっていた。

僕は、ここでパスタの美味しさを教えてもらった。

初めて食べたときは、こんなに美味しいものが世の中にあるんだ!って思った。

店の全メニューを制覇するほど、よく通った店だ。

 

そして、当時の原宿を語るうえで、欠かせない場所がある。

セントラルアパートの1Fにあった伝説の喫茶店、レオンだ。

モデルや芸能人、業界の人たちが常連客で、店内のあちこちでこなれた会話が繰り広げられているらしいという店だった。

内装は黒で重厚な雰囲気。

ガラス張りだったので、外からは薄っすらと店内の雰囲気を伺うことができた。

一般の人はなかなか入りづらく、高校生だった僕も、通りすがりに店内に視線をやるのが精一杯だった。

その後、めでたく足を踏み入れることになるのだけど、それはもう少し先の話。

 

そんな風に原宿は、歩いているだけで刺激的な街だった。

人、街、モノ。

そこにある全てのものが、僕の殻を壊してくれた。

 

セントラルアパートのポストを見て胸を高鳴らせていた

原宿に行くと、必ずセントラルアパートに寄っていた。

とはいっても、居住スペースには入れない。

僕が行けたのは、中庭にあるカフェくらい。

 

セントラルアパートの地下には小さな店がたくさん並ぶエリアがあり、そこへ入るところに並んで居住スペースへの入り口があった。

入り口には郵便ポストがあり、そこにはコマーシャル・フォトで見かけた人の名や事務所名がたくさん並んでいて、僕はそこを通るたびにドキドキしていた。

自分が目指す人達たちの名前が並んでいる。憧れている世界がすぐそこにある。

そのリアルさにゾクゾクした。

 

郵便ポストにあった名前の中で、いくつか覚えている方をあげると、

まずは、コマーシャルフォトグラファーの操上和美さん。

当時大人気だったVAN JACKET、Wrangler Gals、SONYなど、様々な広告を手がけていて、僕にとってアイドル的存在だった。

 

それから、浅井慎平さんの事務所もあった。

水着メーカーのジャンセンのポスターを覚えている人も多いのではと思う。

パルコのチャック・ベリーのポスターも浅井慎平さんの撮影だ。

 

そして、デビッド・ボウイのジャケット撮影でも有名な鋤田正義さん。

当時から、すごく目立つ存在だった。

僕がスタジオマンをしているときに、スネークマンショーのアルバムジャケットの撮影に入らせてもらったのを覚えている。

ちなみに、デビッドボウイのジャケットのスタイリストは、高橋靖子さんが担当している。

 ※高橋靖子さん:日本のスタイリスト界の草分けであり、前述の本の中村のんさんの師匠にあたる。「70’HARAJUKU」では、高橋靖子さんと山口小夜子さんの写真が表紙。

 

ポストの横を通りながら、自分もこうなりたい、こういう人たちと仕事したい、会ってみたいって熱くなっていた。

しみじみ僕はミーハーなんだと思う。

でも、ミーハーってパワーになるんだよね。

 

憧れのセントラルアパートに入れたとき

そんな風に、ポストを眺めてはワクワクしていた僕だったが、その後めでたく正面からセントラルアパートに入ることになる。

原宿に通うようになってから、1年足らずの出来事だった。

 

にもお話した通り、僕は写真学校を中退し、岡野隆一さんの助手となった。

当時はサーフィンブームで、岡野さんのやっていた仕事の一つに「サーフマガジン」という雑誌があった。

ある日、師匠と共に編集部に向かうと、そこはなんと、あのセントラルアパート。

西海岸アドバタイジングという、セントラルアパートにある制作会社の中に、編集部があったのだ。

それはもう驚いた。

でも、感動するというよりは「すげえ、オレ!もう入っちゃったよ!」って、興奮する感じだったかな。

僕の夢が、一つ叶った瞬間だった。

 ※当時、岡野さんがお付き合いしていた、西海岸アドバタイジングの白谷敏夫さんは、前述の「70’HARAJUKU」のアートディレクターも担当している。

 

全ては真似ることから始まる

師匠の岡野隆一さんからは、実に多くのことを学ばせていただいた。

直接教えてもらったこともたくさんあるが、僕が勝手に真似をして学んでいたことも多い。

岡野さんは、仕事でセントラルアパートに来ると、1階にあった輸入レコード店に立ち寄り、何枚かのレコードを買うことがよくあった。

それを見ていた僕は、遅くとも1ヶ月以内には師匠と同じものを買っていた。

師匠が、どんなものを聴いているのか知りたかったのだ。

 

ラリー・カールトンのRoom335

クルセイダーズのSTREET LIFE

トム・スコットのINTIMATE STRANGERSに

スタッフのMore Stuff

などなど。

ジャケットも、今まで見たことがないようなもので、とても格好良かった。

1976年~78年くらいの、フュージョンと呼ばれるジャンルの音楽。

当時は、「クロスオーバー」と呼ばれていたと思う。

僕が初めて触れたジャンルで、日本でも急速に流行っていった。

 

師匠のしていること、好きなもの、読んでいる本などを観察しては真似をしていた。

当時、師匠は若手売り出し中のカメラマン。その姿は、とにかく刺激的だった。

写真についてももちろん学ばせてもらったけれど、

それ以外で学んだことが、自分の見識をどんどん広げてくれたように思う。

 

仕事で、師匠の自宅に集合ということがよくあった。

時々、師匠の準備待ちで中に入らせてもらうことがあったのだけど、師匠の家には、個性的なオーディオセットがあった。

 

マイクロのプレーヤーで、ダイナミックバランスのトーンアーム。

アンプはAGIで、スピーカーは確かJBLの16cmフルレンジ、LE-8T。

ついこの間まで高校生だった男の子からすると、手の届かない憧れの機器。

いつか、自分も手に入れたい!と思って眺めていた。

その後、僕は見事にオーディオマニアとなるんですけど、間違いなく岡野さんの影響です。

 

自分が憧れるものには近づく。そして真似てみる。

何事もそこから始まります。

ミーハー万歳です。

その方が成長は早い。

 

原宿という街から、僕は色んなことを吸収した。

師匠からは、数え切れないほどのものを学ばせてもらった。

 

僕の始まりは、こんな感じでした。

お話はつづきます。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=2-D8AViLZIc
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

人生の手綱を握っているかどうかが、人の幸福度を左右する。

 

 

やりたいことがあるけど、踏み出せない人へ

やりたいことがあるのに、やらないほうが僕には怖いって話は少し前にしたけど、そこについてもう少し触れておきたい。

 

強烈にやりたいことがある人なら、誰が何と言おうと勝手に動き出しちゃっていると思うので、やりたいことはあるけど踏み出せてなくて、何となく満たされない気持ちを抱えたまま日々を送っている人に向けて書こうと思う。

 

もし、あなたがすでに社会人なら、いきなり仕事を辞めて、やりたいことの世界へ飛び込むようなことは決してすすめません。

僕はそれをやってしまうタイプの人間なんだけど、とても人にはすすめられない。

でも、興味を持てるものがあるなら、まず小さいことからでいいから始めてみる。

もう、これしかないと思う。

 

空いている時間に、必要なものや知識を集め、一日のうち少しでもいいから時間を確保して、実際に手を動かす。

休みに日にはどっぷりそれに浸かることもしてみる。

やりたいことを、あなたの生活の一部にしてみてください。

 

そして、どうせやってみるなら、その道のスペシャリストになるくらいのつもりでやった方が、絶対に人生が面白くなるのでおすすめ。

趣味や楽しみでもいいのだけど、最初からそう決めてしまうと、それ以上にはならないから、もっと踏み込んだ方がいい。

そうすると、まず視点が変わるから、入ってくる情報の量も質も変わる。

取り組んだときの緊張感も違うから、上達度が大きく変わってくる。

その分、人生も大きく動き出す。

 

自分がなりたい姿や行きたい世界を、なるべく具体的に想像してみるのもいい。

でも、その想像図はきっとどんどん変わっていくから、最初はぼんやりとしたものでもいい。

なぜなら、想像できるのは、その時点での自分からの視点や想像力でしかないから。

想像した姿へ近づいていくと、必ず新しいことが見えてくるから、そこで修正を入れて、より具体的な姿を描き、またそこを目指せばいい。

実は、そこにたどり着けるかたどり着けないかは、一番重要なことではなかったりする。

最初から失敗を目指す必要はもちろんないけれど、失敗って、その時点では失敗でも、後でそれが重要な起点になってたりするから、あまり気にしない方がいい。

これは僕の経験上の考え。

でも、やるときはたどり着けると信じて、そのための方法を探して行動をする。

トライアンドエラーの繰り返しでデータを集める。

そうすると、自分がアップデートしていく。

 

この作業は、楽しい。

何が楽しいかって、すべて自分で選んで、決めて、考えて、体を動かすから、その結果も、感じたことも、何もかもが全て身になること。

皆がしているからとか、誰かにしなさいと言われたものではないから、触れそうなほどの実感を持てる。

 

僕も、まだやりたいこと、たくさんあります

僕は還暦だけど、まだこれから色んなことに挑戦しようと思っている。

やりたいこともあるし、やらなきゃいけないこともある。

やれることはたくさんあるけど、きっと諦めることも出てくるだろう。

今までも、色んなものを捨てたり、途中で断念したりしてきた。

 

僕は、音楽の道に進もうと最初は思っていた。

でも、それは早い段階で諦めた。

友人の中には、夢を叶え音楽で生きている人もいる。

今まで世界で活躍するミュージシャンを撮影することもあった。

彼らを撮影するとき、僕は少し嫉妬する。

僕が行けなかった世界。諦めた世界。

カメラマンになったことに一切の後悔はないけれど、

この切ない気持ちは、きっとずっと抱えていく。

でも、そんなしょっぱい気持ちも人生のスパイスだよな~って思える。

それは、今、僕がその後の道で頑張ってきたからだと思う。

 

僕が持っている残り時間は、若い人よりも当然少ない。

けど、未来に向けて動けるのは「今」しかない。

これからの人生の初日は今日。

それは誰でも一緒。

そう考えると、動いてた方がいいよね。

できることはある。

 

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人生の手綱、握ってますか?

結局、人生の手綱をちゃんと自分で握ってきたかどうかが、人の幸福度に大きく影響するのだと思う。

時代背景や個人の性格に左右されるだろうけど、少なくとも僕はそうだ。

 

「やったらできたかも知れない。でもやらなかった」

こんな思いを抱えて、生きていくのは辛い。それに、もったいない。

やってみてダメだったら、「これは自分には向いていなかった」とか「この方法では上手くいかなかった」とか、何かしらの結果が手に入る。

その方がずっといい。

 

もう一度整理して書いてみる。

もし、やりたいことがあるならば、以下の3つをまずやってみて欲しい。

 

①小さいことからでいいので、とにかく動いてみる。

②どうやって動いたらいいのかということを、調べまくる。

③興味のあるものに対して、オタクと言えるくらい詳しくなる。

 

この3つが全てできるようになると、自分の中でそれが当たり前のものになる。

習慣になっていくから、憧れではなくリアルになっていく。

 

あとは、最初はぼんやりとでいいから目標を設定して、そこに向かって一つ一つ積み上げていく。

そうすれば、今、自分の行動がどこにつながっているかがわかるから、モチベーションも保ちやすいし、達成感も得られる。

 

軌道修正、方向転換、路線変更、大いにありです。

 

楽しいですよ。

 

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写真の人こそ言葉が大事。誰にでもどこへでもアクセスできる切符。

 

コマーシャル・フォトからあらゆることを学んだ

僕は、パルコのポスターに衝撃を受けたあと、コマーシャル・フォトという雑誌で色んなことを学んだ。

インターネットもない当時、この雑誌は僕にとって超重要な情報源だった。バイブルだったと言ってもいい。それくらい読み込んでいた。

ページをめくれば、自分が目指す世界で活躍している憧れの人たちの名前を知ることができた。

クリエイターたちの名前だけでなく、電通博報堂旭通信社(現ADKホールディングス)に代表される、広告代理店などの企業の存在も、僕はコマーシャル・フォトで知っていった。

一般企業には広報部や宣伝部というものがあり、そこに広告代理店が入って、雑誌やテレビなどで見る広告は作られていくという、広告業界の全体像を僕は徐々に掴んでいった。

 

話は少しそれるけど、当時は必要な情報にアクセスするまでに、本当に手間と時間がかかった。

今ならググって1分でわかるようなことも、辞書をひいたり、目にする情報から推測したりして理解していくしかない。

僕が知りたかったことは、学校の先生に聞いてもわからないようなことばかりだったから、どうすれば必要な情報を手に入れることができるのか、そこがまず最初の関門だった。

だから、コマーシャル・フォトに出会ったときは、僕が探していたのはこれだ!って感動したのを覚えている。

 

写真の人こそ言葉を大事に

僕は最初から広告カメラマンを目指していたけれど、それはやはり最初に衝撃を受けたパルコのポスターの影響がとっても大きい。

僕の基準は、全てあのポスター。

特に、コピーが格好良かった。

 

「わが心のスーパースター」

 

たった一行で心を掴まれた。すごいインパクトだった。

この最高のコピーを書いたのは、サントリーのCMでも有名な長沢岳夫さんという人物だ。

この「コピーライター」という職業も、コマーシャル・フォトで知った。

 

広告には、コピーライターの他にも、グラフィックデザイナー、フォトグラファーなど、大勢のスタッフが関わっている。

トップには全体を指揮するアートディレクターがいるが、もうひとつその上に、クリエイティブディレクターいう役割が存在することがある。

そして、このクリエイティブディレクターをコピーライターが兼任していることがかなりあるのだ。

 

これはつまり、広告というビジュアルがメインの媒体でも、世界観を構築するのには、言葉が非常に大きな役割を持つことを意味している。

 

「はじめに言葉ありき」なんです。

コマーシャル・フォトからは、そんなことも学びました。

 

だから、写真を学ぼうとするとき、写真だけを勉強するだけでは足りない。

言葉も大事にしなければいけない。

 

もし、写真で仕事をするのだったら、言葉はより重要になる。

打ち合わせの段階では、当然写真は存在しないから、自分がどういうものを撮ろうとしているのか、言葉で伝えなければいけない。

イメージイラストなどが用意されることもあるけれど、最終的にイメージが共有できているかを確認するのは、結局言葉。

 

自分の中に言葉をたくさん持っている人は、写真の表現も豊かになる。

これは間違いない。

自分の中に湧き上がってきたものを言葉で表す能力は、写真をやる人間にとっては必須とも言える。

 

これは口が達者でなければいけないということではない。

口下手でも素晴らしい写真を撮る人はたくさんいる。

でも、そういう人は口から出る言葉が少なかったり、たどたどしかったりするだけで、頭の中ではきっと言葉が溢れていると思う。

 

言葉にならないからこそ写真で表現するという考えもあるけれど、

それでも言葉は大事にした方がいい。

いい写真を観ると、語りだすもの。

まとまった文章にはならなくとも、色んな言葉をこちらに投げかけてくる。

 

大切なのは言葉を大事にすること。

感じたものを言葉で表現すること。

相手に伝えようとする気持ちと、

言葉を尽くす努力。

 

僕は、伝えたい気持ちが強すぎて、ついついしゃべり過ぎて反省することもあるくらいです。

 

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カメラがあれば、どこにでも行ける、誰にでも会える。

僕は、写真を撮るのが、好きです。

写真をとりまく世界も大好きです。

でも、僕が写真をやるのは、自分が楽しく生きたいから。

それが、まず一番。

そして、僕にとって、楽しく生きるのに向いている道具が、写真だからです。

 

僕が「写真ってすごい!便利!」って思うところは、

気になる人やモノを見つけたとき、「すみません。撮影させてもらえませんか?」と声をかければ済むこと。

 

こう書いてしまうと、変質者ちっくで誤解されそうだけど、当たらずとも遠からずなのかな。

だって、僕は街中で気になった女性に、声をかけて撮らせてもらったこともあるもの。

もちろん、ちゃんと丁寧に声をかけて、理由を説明して、不作法がないように気をつけました。

そんなときにも言葉はとても大切です。

 

自分が何者なのか。

どうしてあなたに興味を持ったのか。

写真を撮ってどうしたいのか。

それらを言葉を尽くして、相手が納得するまで説明をする。

相手がメリットを感じられるように説得する。

そして、撮ってもらえて良かったと思えるような写真を撮る。

 

とにかく写真をやっているだけで出会いが広がる。

誰かに会ったり、どこかへ行ったりする理由を自然に持つことができる。

魔法の切符みたいって、よく思う。

仕事となれば、より一層会える人の幅も行ける場所も広がる。

僕も、ずっと気になっていた人に会えたり、普通の人が入れないような場所へ行ったり、写真のおかげで貴重な経験がたくさんできた。

 

写真さえやっていれば、生きている人で会えない人はいないんじゃないかな。

本気で会おうとさえ思えば。

どんな重要人物でも、しかるべきところにアプローチをかけ、どうしても撮りたいと伝え、自分の撮り手としての実力と、撮影の必要性が認められれば、きっと撮れると思う。

絶対とは言えなくとも、可能性はかなりある。可能性って、あるだけで上等。

あとは動いて形にするだけ。

あ、ここでも言葉は大事な役割を担うね。

撮りたい相手を口説き落とすのは、それまでの実績と心からの言葉です。

 

人によって写真を撮る理由は色々だと思うし、なんだっていいと思う。

僕は、自分が楽しく生きるため。

好奇心旺盛で思い出大好きの僕には、ぴったりの道具。

 

写真があれば、会いたい人に会え、行きたいところへ行ける。

溢れるほどの思い出を一枚の写真に込めることができる。

それを人と分かち合うことができる。

写真はそういうことにすごく向いている。

 

写真は、必ずレンズの前にその瞬間の現実が置かれる。

常に、自分の外側の世界がそこにある。

シャッターを押すと、自分と世界との関わりがそこに映し出される。

だから、すごく面白い。

しみじみそう思う。

楽しく生きていくために必要なもの。

 

振り返ると、思い出が全部残ってる。

写真、すごい。

 

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※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】

僕が企画を持ち込むときの秘密を教えます。大事なのは、誰とどうプロセスを楽しむのか。

  

最初の事務所は西新宿

25歳で独立し、僕は西新宿に事務所を構えた。

1DKのマンションで、さほど広いわけでも豪華な建物でもなかったけれど、

家賃は、それまでのアシスタントの給与より高かった。

 

前回、お話したように、僕の初仕事はとんねるずのレコードジャケットなのだけど、そのギャラを最初の家賃のあてにしていた。

そうすれば少なくとも1ヶ月は何とかなる。

電話も引いたし、当時は超高価だったFAXもリースした。

その後の費用は、これから仕事をして稼ぐつもりだった。

うーん、完全な見切り発車。良い子はマネをしないでください。

 

写真を持たずに挨拶回り

事務所を立ち上げたあと、僕は独立の挨拶も兼ね、色んな事務所や編集部に営業に回った。

カメラマンの営業なのだから、普通は「私はこんなものを撮っています」と、見せるための写真を持っていくものだけど、僕は最初の挨拶回りに写真を持っていかなかった。

先に発送しておいた独立の挨拶状にも、写真は載せず、文章のみ。

前回のお話の通り、僕は作品撮りをしていなかったから、彼らに見せる写真がまだなかったのだ。

 

そんな状態で営業に行って、何をしたかっていうと、

僕はこういう人間です、こんなことがしてみたいです、写真を通してこんな風に社会と関わっていきたいですとか、そんな風に、自分の事とこれからの展望や夢を話しまくった。

アシスタント時代に付き合いのあったところは、すでに僕のことをよく知ってくれているから、そうやって話をすると、じゃあ規模は小さいけどこんな仕事やってみる?みたいな感じで何本も仕事をもらうことができた。

 

付き合いはあまりなくても、この人とは絶対に仕事したい!と思ったアートディレクターのところにも営業に行った。

そのときも、写真はなし。同じように話をするだけ。

ちょっと気取った言い方をすると、写真じゃなくて、僕を見てもらいに行った。

「今、お見せできる写真はありません。ぜひこれから一緒に作っていきたいです。だから、僕を育ててください」ってお願いをした。

それで、こいつ何か面白そうだから使ってみようとか、何か一緒に考えてみようと思ってもらえればいいなと考えていた。

幸いにも、それで仕事をもらうこともできた。

 

正直言って、このやり方が正しいのかはわからない。

たぶん、多くの人とは違うのかも知れないけど、当時は今より情報が手に入りにくくて、他の人がどうしているのかわからなかったから、自分流でやるしかなかった。

今だったら、さすがに写真は持っていくかな。

当時も、挨拶に行ったとき「あれ、写真は?」って、何度か言われたし。

僕なんかそのときに初めて「ああ、写真って持ってくるものなんだな」って思ったんだから、無知って恐ろしい。

 

でも、当時はそれでいいと思っていた。

そこには、一応僕なりの理由があった。

 

ほとんどの仕事は期待だけで依頼される

これは写真に限らず、ほとんどの仕事についてそうだと思うけど、仕事というのは依頼される段階では、完成品というものはまだ存在していない。

 

写真で言えば、「この広告を撮ってください」と依頼がくる段階では、当たり前だけど、そこに完成品はない。

「この人に撮ってもらおう」という期待で、仕事は依頼される。

通常、その期待値は、それまでの実績によって決まるけど、当時の僕には、まだ実績もなければ、参考になる写真もない。

でも、要は「この人に撮ってもらいたい」と思われればいいんだよね?と僕は思っていた。

だから、そう思ってもらえるように、言葉を尽くした。

それが、今思えば無謀とも思える写真なし営業の理由。

 

この「この人ならできそうだな」って思ってもらえるのは、すごく大事。

仕事はそれですべて決まると言ってもいい。

そして、一度仕事をした相手から、「また一緒に仕事をしたい」と思ってもらえるかどうかが重要。

これで、食っていけるかどうかが決まる。

 

そう思ってもらえるにはどうすればいいのかって話は、今書きだしちゃうと、とんでもない長さになるから、改めてまた伝えていきたい。

 

でも「こうすればいい」と簡単にハウツーで伝えられるものでもないんだよね。

ハウツーだと、どうしても表面的なものになってしまう。

 

本質はひとつ。表し方は人それぞれ。

 

あなたは何の仕事をしていますか?

今までどんな生活を送ってきましたか?

どんな人と仕事をしていますか?

今後、どうしていきたいですか?

 

僕は僕が経験したことを伝えることしかできない。

だから、そこから何かを拾ってもらえたらと思う。

それがこの「ホネのひろいば」です。

 

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僕が企画を持ち込むときの秘密

そんなことを書きながら、さっそくハウツーっぽいものを書いてしまいます。

といっても、ハウツーっぽいけど、本質はそこじゃないって内容なんだけど。

 

僕は生きる上において、プロセスを大事にしています。

仕事の評価はすべて結果で行われて仕方のないことだけど、個人として大事にしているのはプロセス。

誰と一緒に、どう楽しむか、です。

 

独立した頃の営業では「こんな僕です。こんなことがしたいです。あなたと一緒にしたいです」とアピールをした。

そして実際に仕事につなげることができた。

 

そして、これは今でもそうなんだけど、僕は企画の持ち込みをするとき、完成したものを持っていかない。あえて足りない部分というか、穴を残しておく。

実際に自分の中でちょっと迷っていたり、もっと良いプランはないか気になっている部分だったりするんだけど、そういう部分をあえてそのままにして持っていく。

そして、プレゼンしながら相談をする。

ここだけ決めかねてるんですけど、どう思いますか?とか、

この部分が少し弱い気がするんだけど、どうしたらもっと良くなると思いますか?とか、

イデアがあったらぜひ教えてもらいたいって、相談相手に委ねる。

 

そうすると、何が起きるか。

相手が一緒になって、考え始めると、もうそこで僕とその人の化学反応が始まるんだよね。

僕が提案をしに行っているのにも関わらず、相手がその企画を一緒に考える人になってくれる。

 

企画の持ち込みって、なかなか勇気がいるかもしれないけれど、

持ち込まれる側にしてみれば、ある一定以上のクオリティは必要だけど、決して迷惑なことではない。

これは、僕が編集者からも聞いた話です。

週刊誌だったら、月に4冊も作らなきゃいけないし、WEBだと毎日更新も珍しくない。

イデアや企画は常に不足している。

だから、面白いものを思いついたら、飛び込んでみるのはありです。

そのとき、完成した企画を持っていくことも決して悪いことではないけれど、

その場合、相手はその企画を採用するか不採用にするかの選択肢しか持たないから、

相手の好みに合わなかった場合は、ボツになってそこで終わってしまう。

そうではなく、一緒に考えてもらって、相手を巻き込んでしまうのがおすすめ。

 

もちろん元々の企画が魅力的であることは大前提だけど、隙を残しておく。

相手が考えてるうちにワクワクしてくると、何とかこれ形にしたいねっていうモードになる。

そうするともう仕事は始まっている。

一緒に考えたことになるから、企画が実現したとき、二人で一緒に喜べて、達成感を分かち合える。

 

だから、「これ、ロケ場所思いつかないなあー。どこがいいかなあ」っていう一言が僕のプレゼンになったりする。

 

その結果、編集の人と一緒に車でロケハンに行ったこともあるよ。

二人で見つけた、ここだ!って場所で撮影した仕事は、今でもよく覚えてる。

 

誰と、どうやって、プロセスを楽しむか?

「企画には穴を残しておく」。これはハウツーだけど、この話で僕が伝えたいのは、「あなたは誰とどうやってプロセスを楽しみますか?」っていうところ。

 

仕事に限らずだけど、何事も自分や自分の考えに固執しすぎない方がいい。

柔軟性があって、隙間のある、ゆるゆるな自分の方が色んなものが入ってくる。

 

カメラマンの仕事で言えば、自分のアイデアを全てだと思わない方がいい。

どうせね、撮影すれば自分らしさってにじみ出ちゃうから。それが個性ってものだから。

 

良い写真は撮りたい。

でも、そこに至るまでのストーリーというか、どういう風にそこにたどり着くかを僕は楽しみたい。

仕事に限らず、人生もそう考えてる。

 

生まれたからには、いつか死んでしまう。

人生には色んなイベントがあるけれど、そこで自分にとって最良のものを手に入れることだけにこだわるのではなく、それを目指す過程も、最後に何かを手に入れる過程も僕は味わいたい。

誰と共に楽しむかを大事にしたい。

 

「人生、死ぬまでの暇つぶし」。

これが僕のモットーなんだけど、どうせなら楽しく暇つぶししたい。

それが全て。

 

僕はカメラマンをしていているけれど、本当はそれすら重要なことではないです。

カメラマンという職業を通して、自分がどうやって日々を楽しむのか、誰とプロセスを共にするのか、そっちの方が大事。

そんなことを思いながら、毎日を過ごしています。

写真はそれを記録してくれる伴侶です。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=zXoOaXWu7io&t=43s
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