LIFE LOG(ホネのひろいば)

真剣に取り組めば必ず身になる。独学時代のアルバイトの話。【写真との出会いから独立するまでの話④】

 

独学時代のアルバイト

独学の期間は、生活費のこともあったし、色んなアルバイトもしていた。

その中で、いくつか印象的だったものがある。

 

まず、1つ目は家電量販店の販売員。これは、結構面白かった。

お客様が、どんな目的で来ているのかを見極めて声をかけるのかがコツ。

例えば、初々しい感じのカップルがキョロキョロしているようなら、新婚の可能性が高い。

僕は、サッと近寄り、挨拶と共にメモとペンを渡す。

メモ紙はクリップボードにつけて書きやすくしておく。

「気になるものがあったらリストアップしてみてください。あとでお値段どこまで頑張れるか出してみますので」とだけ伝えて、その場を離れる。

べったり張り付いたりはしない。聞きたいことがあれば向こうから声をかけてくるし、最終的には僕のところに戻ってくる。だって、メモを渡しているんだから。

新婚だと買い揃えるものも多いから、かなりの売り上げになる。

相手のニーズにピタッとはまった接客ができたときは、結果も出るし、気持ちがいい。

物を売ることは、とても緊張感のあるコミュニケーションだと思った。

 

ホテルのドアマンもした。これは、最初のうち嫌だった。

人のためにドアを開けるなんて、何となく悶々とした気分だったことを覚えている。

退屈で、時間が経つのも遅く感じられた。

でも、ある時「お客様にとっては、自分は最初に接するホテルの人間だ。自分がダメだとホテルの第一印象が悪くなってしまうんだ」と気が付いて、ホテルの看板を背負っている自覚が芽生えた。

すると、ドアマンとしてどう振る舞うのが良いのか考えたりして、どんどん仕事が面白くなっていった。

常連客の車や名前を覚え、さり気なく呼びかける。状況を見て、臨機応変に対応する。

いつの間にか退屈なんて感じなくなっていった。

 

どんな仕事でも、真剣に取り組めば面白くなる。

拾えるものは必ずあって、意識して取り組めば、すべてが身になる。

それが、そのときに学んだこと。

 

ちなみに、そのホテルには政治家がよく来ていたのだけど、ドアを開けたら田中角栄が降りてきたときは、めちゃくちゃ驚いた。

 

 

自分でやってみることの大切さ

 大日本印刷の写真部でもアルバイトをしていた。

主に、カタログなどのブツ撮りをするカメラマンの助手をしていたのだけど、僕がついた人は写真部の課長もしていたので、そちらの仕事も忙しく、複写など比較的簡単な撮影のときは、僕に任せてどこかに行ってしまっていた。

そのため、残された僕は一人で悪戦苦闘するのだけど、結果として、それがとても勉強となった。

 

よく覚えているのは、雑誌「流行通信」のアートを紹介する連載の仕事。

絵画や美術品を撮るのだけど、油絵やレリーフなど、表面に凹凸のあるものは、複写のセオリーそのままで撮ると、表面の質感が薄れて良さが消えてしまう。

 

さて、どうすればいいのか。僕は一人で試行錯誤する。

なんせ、課長さん不在だったから。 

 

最終的には、体育館みたいに大きいスタジオの隅に被写体を置き、遠くから巨大な照明をあてるという方法で撮影をした。

その撮影方法が正解なのかは、今でもわからない。

でも、目的は「本物を見たときの感動が得られるような写真を撮ること」だったから、それが達成できれば、方法なんて何でもいいと思っていた。今でもそう思っている。

ブツ撮りに詳しい人に教えてもらえば、早いし楽だけど、自分であーでもないこーでもないとやれたのが、良かった。

 

最初に正解を教えてもらうと、失敗するチャンスを失っちゃうからね。

「これだとうまくいかないんだ」と体でわかる経験は、失敗でしか得られないことだもの。

失敗することができるというのは、すごく贅沢だと思う。

 

そのときに得た「試行錯誤すれば、何かしらの答えは導き出せる」という感触は、今でも僕の中に残っている。

先生がいれば効率はいいけれど、いなくても自分で何とかする。

失敗しても、それは「その方法では上手くいかない」という事を知ることができる。

それがいいんだと思う。

僕にとってはありがたい体験だった。

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恩師からの連絡でスタジオマンに

一年と少しの間、そうやって様々なアルバイトしながら写真を独学していた僕に、最初の師匠を紹介してくれた写真学校の先生から電話がかかってきた。

 

「そろそろ飽きた頃じゃないですか? 」

 

その先生とは、学校を辞めたあとも時々連絡を取り合っていて、近況報告はしていたのだけど、何もかも見抜かれていたようなタイミングでの連絡だった。

印刷会社での仕事はとても勉強になったけど、半年もすると好奇心旺盛で飽き性の僕はそのルーティンワークが辛くなってきていた。

 

「面白いスタジオが人を募集しています。そちらに行ってください」

 

恩師からの電話。

僕は、もちろんそこに行くことになる。

 

お話はつづきます。

 

【こちらはYouTubeの動画をブログにしたものです。
元動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=pHZU0lAJYdQ&t=470s
※ブログだけの話もありますので、ぜひ両方お楽しみください。】